<   2006年 01月 ( 22 )   > この月の画像一覧

使い分け

 年賀レターを送った大学時代の男友達から久々に電話を貰った。
彼は開口一番、「お前は、最終的に何をしたいんだ?」と私に尋ねた。
彼はその言葉を、何度も繰り返し私に言った。
その語調は強く、なんだか私への不安が感じられるトーンだった。

 彼は私のブログをまめに読んでくれているそうだ。
私が何を目指し、どこに向かっているのか、あのブログでは見えてこないと彼は言う。
「もっとお前の生き方が見えてくるモノを書くべきじゃないか?」と。

 最初、「私は彼に説教されているのか?」と思った。
「最終的に何がしたいかなんて、わかって生きてる人間がこの世の中にどれだけいるんだよ?」
そう思った。それに、ブログを書く位置づけは様々で、この場においてのみ、私の全てを表現する訳じゃない。自分の知らない人の目にも触れるブログだからこそ、書ける事もあれば、書く事を限定する基準が必要だ。それに「私の生き方」をことさら主張したブログを書きたいと思った事はない。

 「お前は、最終的に何をしたいんだ?」とあまりに繰り返し尋ねるので、「心外だ!」と私はハッキリ言った。私の人生に、勝手に不安になるなんて、なんて失礼なんだろうってね。

 その後で彼は、「寂しい」と言った。
大学時代の様に、私達はもう近い距離には居ない。
同じ時間と体験を共有する機会はほとんどない。
彼が不安だったのは、私の人生そのものに対してではない。
私の事を知る距離にいない事への彼自身の不安だ。
私が見ているモノ、体験、考え、感じているそれらの事を、知る事の出来る身近な距離に今自分は居ないという事に対して、彼は「寂しい」と言っているのだろう。

 「寂しい」という正直な彼の言葉を聞いて、私も思い直した。
あぁ、彼は私の事をずいぶん気にしてくれているのだなぁと。
「遠くからでもなぁ、俺はお前の事応援してるぞ!」と繰り返し言われて、自然と涙が流れた。
その言い方があまりにも力強くて、安心して涙が出た。
「お前が頑張ってるって分かったら、俺も負けていられない!」と言う彼。
彼に対し勝ち負けなんて考えた事、一度もないが、今でも私の存在が彼に刺激を与えているのだとしたら悪い気はしない。
自然と流れた涙も、途中から嗚咽に変わった。
久々の号泣。

 しかし、こんなに感動した後になんなのだが、冷静になってからもう一度考えた。
結婚している彼は、自分の妻にも「お前は、最終的に何をしたいんだ?」と尋ねるだろうか?
私に答えを迫った様な強い口調で、自分の妻にも尋ねるだろうか?と。
どう思う?
私の勝手な答えはNO!
臭覚が利く男達なら、この言葉を自分の妻に向かって発する事の危険を察知するだろう。
一人の人間としての生き方、立ち居地を要求するこの言葉。
それを自分の妻に言うことは時として危険だ。
時として2人の間に揺らぎが生じても仕方ない。

 これは一般的な話。
妻になった女に、夫や社会は一人の人間として生きる事を求めなくなる。
もしくは、妻になった女達から一人の人間として生きる事そのものを奪う。

ごめんなさい!はっきり言わせて貰います!
それこそが「日本の男ってねぇ・・・」なんてボヤかれる時のしょぼさの所以だと思います。

私に聞く前に、自分の妻に聞いてみろ!
「お前は最終的に何がしたいのか」、私に迫った様に尋ねてみなよ!

                                つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-19 02:19 | TSUBAKIng Times

私のオーラ

 『オーラの泉』という面白い深夜番組がある。毎回様々なゲストを呼び、その人の前世や守護霊を、三輪明宏さんとスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんが見ていくという番組だ。ゲストの体験や性格、それらと前世との因果関係を分析していく過程はかなり興味深い。

 年末、『オーラの泉』を見た友達からこんなメールを貰った。
『つばきちゃんについてる守護霊は自然霊じゃないかな。新庄選手(日ハムの新庄剛選手)と同じだと思った。自由でいろんなものから束縛されない好奇心旺盛な魂とそのエネルギー。そう言われたことないかな?きっとそうだと思いました。』と。
 私は「新庄選手と同じ」と言う一文だけで、「悪くないじゃなぁーい!?」とニンマリした。なぜなら私、案外、新庄選手好きなのだ。「自分が大好き!自分って素敵!」無邪気なまでのあの自己表現。オモシロイじゃない!

 友達が教えてくれたところによると、その「自然霊」とやらは、現世を体験していない霊との事。そんな霊が守護霊として付いていると、『 色んなモノに囚われず、自由に旅が出来たり、お金の損得に関係なく行動出来たり、とにかく魂が自由』なんだそうだ。 『周りの人にパワーとか愛を与えてくれる存在。なろうと思っても誰もそんな真似出来ない、そういうすごい存在。』と、えらく褒めてもらった。(ありがとう!) 現世を体験していない守護霊だからこそ、現世に存在する様々な呪縛から自由でいられるのだろう。

 はてさて、私についている守護霊が、本当に新庄選手と同じ「自然霊」かどうかはわからない。だって、今まで前世とか守護霊とか見てもらった事なんてないからね。唯一、高校時代の同級生がオーラの見える人で、「レモン色でプラチナがかっている。」と言われた事がある位だ。

 でも『周りの人にパワーとか愛を与えてくれる存在』って言うのは、自我自賛になるが少しだけ当っている!と思いたい。そう思うのは「つばきといると元気になる。」と言ってくれる友達が、少なからずいるからだ。そして、脈略のなかった人達同士に出会いの場を作り、繋がりを生む作業が得意だったり、今まで関心のなかった世界に友達を誘い込んだりするのが得意なのも、自分がそういう存在かな?と思う理由。

 人生で大きな事は成し遂げれないかもしれないけれど、みんなが人と人との繋がりを感じられて、安心して、くつろげて、楽しいと感じられる場所を作れる人でありたいと思っている。

 でもね、本当に新庄選手と同じだったら嬉しいなぁ・・・

                                     つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-17 23:47 | TSUBAKIng Times

あれから11年

 夕方、元町の交差点を歩いていたら、頭上から聞こえてくるヘリコプターの音。
見上げると3機のヘリコプターが上空を飛んでいる。
「あぁ、今日は1月17日。あれから11年目を迎えたんだなぁ。」と妙に実感が沸いた。
復興した街の灯りを上空からカメラにおさめているのだろうか。

 6,434人もの死者を出した、あの阪神淡路大震災から今年で11年。
あの時も、上空には何機ものヘリコプターが旋回し、地獄絵の様になったこの街の様子をテレビで伝えていた。

 11年前、この街に住んでいなかった私は、その様子をテレビの前で座って見ていた。
当時、姉が北野に住んでいたので、混線している中、昼過ぎにやっと母と電話がつながり、姉が無事である事を確認出来た時はホッと胸を撫で下ろした。

 今私は、建物が倒壊し、一旦は焼け野原になった長田の街で暮らしている。最も大きな被害を受け、最も復興に時間がかかっている街だ。私達が住んでいる周辺には、大きな仮設住宅があったそうだ。下町だった長田の街に、新しく高層マンションが建ち、新たに建設されている様子は、裏返せば、何もかも倒壊し区画整理されたと言う事だ。私が踏むこの街の至る所で、多くの人が生き埋めになり、亡くなっていった事に鈍感になってはいけない。

 震災を経験した人達は、何かを思い出す時、「あれは、震災前やったかなぁ?後やったかなぁ?どっちやったやろ?」とよく言う。震災を基準に彼らの時間軸が動き出す。

 復興したと言われる神戸も、「開発中心の復興行政のツケ」が、自治体の財政に重くのしかかっているとの事。街の様子は一見復興したかの様だが、まだまだ11年前のあの大地震から、完全に立ち直れた訳ではない。

 11年前、ボランティアとして神戸に入った私の大学時代の先輩(現在は職場の同僚)がかつてこんな事を言っていた。「街が復興しても、人の心が復興するのには時間がかかる。だからこそ、人の手で防げる様な戦争は絶対に行ってはいけない。」と。

 11年前、私のこの足元で、亡くなられていった多くの方々の冥福を祈ります。


                                  つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-17 22:47 | 長田そぞろ歩き

闘い終了!満額返金!

a0038862_10475115.jpg  昨年10月末から不調だった私のパソコン。昨年末2回目の修理から帰還したものの、年明けに接続し、数日後に、今度は「パソコン自体が立ち上がらない」「強制終了を行って何度目かに立ち上がる」という不具合に再び見舞われた。使用期間1年未満。持ち運びをするノートパソコンならまだわかるけど、私のパソコンはデスクトップ。そしてこの3ヶ月間に起きた高い頻度での故障。修理に出しても又故障。

 もう!堪忍袋の緒が切れた!三度修理に出したところで、本当にこのパソコンは大丈夫なのか?もう信頼も何もなくなった私は、製造元の修理センターに連絡を取り、「新品との交換」を要求。初めの担当Sさんは、「すみません、すみません」の謝罪の連続で、決定権がないのでらちがあかない。担当を代えてもらい、Sさんの上司・Nさんが出てきたのだが、誠意の感じられない喋り方(ダルそうな感じ)、居直り気味の態度。当初「部品の全体交換」を行うのでそれで了承してくれないか?と言って来たNさん。「新品と交換という私の要求に対する質問にきちんと答えてください。」と言うと、「その商品はないので交換出来ない。」との事。「使用1年未満で、3度も修理に出し、修理しても又不具合が生じるパソコンを信頼して使えると思いますか?」と言うと、やっと「返金」という案を出してきた。しかし、「使用期間をマイナスした金額」をとの事。一晩考え、「保障期間内に生じた事だし、既に2回も修理に出した上での結果だ!満額返金を要求したい!」と思った私は先方にそれを伝える。なんかもう関わりたくなかったのか、スンナリ私の要求を呑んだ先方。電話でのやり取りなので、すかさず「今話した契約を、文章に書いて近日中に郵送してください。」と要求。販売した店にも、過去の修理報告書と一筆文句を添えてFAX。あぁ、良かった!ひとまず闘い終了!粘りましたぁ!やっとスッキリ!

 「壊れたから、すぐに新しいのに買い換える」と言うのはスキじゃない。出来れば修理をして、長い間使いたいとは思うけれど、今回の件は、安心して使えるという信頼を既に失っていたので、「満額返金」という形で話がついて良かった。つくづく良かったと思うのは、コレが言葉の通じる日本で起きた事だったと言う事。かろうじて話せる英語でも、コレだけしつこいやり取りをやり通す語学力は私にはない。海外だったら、既に諦めていただろう。

 あぁ、今度はしっかり活躍してくれるパソコンと巡り会いたい・・・
 コイツも見た目はデキそうなヤツだったんだけどねぇ・・・

                                つばき
 

by bigcamellia814 | 2006-01-17 11:25 | TSUBAKIng Times

負け犬もたまにはケンカ売りますよっ!

a0038862_2128292.jpg 今更ながら、昨年流行った酒井順子著『負け犬の遠吠え』を読んだ。本当に今更ながらである・・・

 彼女が提言する『負け犬』の定義によれば、私はまさに『負け犬』だ。『負け犬』以外の何者でもない。三十路を超え、「嫁がず、生まず、この齢に。」その上、この本で取り上げられる『負け犬』達には、仕事上でのそれなりのポジションと、それなりの所得があるが、それすらもままならない私の様な『負け犬』はどうなるのだ?と疑問を感じずには居られなかった。

 まぁ、それはさておき、ある年齢、ある状況に置かれないとわからない事っていうのはたくさんある。本を読みながら、「あぁ、その気持ちよくわかる。」と共感するのは、私がまぎれもない『負け犬』だからだろう。20代の時には他人事だったそれが現実になった証だ。
 10代の頃の私は、「もう、この歳にもなれば、結婚して子どもの2人位育てながら働いているだろう。」と思っていたが、現実は全くその通りには行かなかった。未だ結婚もしていなければ(結婚願望がさほどないのも原因)、子どもも居ない。20代では考えなかった事を、30代では考える様になった。その代表的な事が『出産』だ。

 昨夜、久しぶりに大学時代の男友達から電話があった。彼は結婚し、既に子どもも居る。「子どもが生まれると世界観が変わるぞ!」と力説し始めた彼から、「子どもは生んだ方がいいぞ!」というメッセージが伝わる。「お前にも絶対そういう日が来るって。来てほしい。」なんて言われて、私は感情の糸がプツンッと切れた。なんだか勝手に涙が流れてきて、「既に子どもを生んだ人や子どもを持っている人は、時として親切のつもりでそういう事言うけど、実はすっごい無神経なんだよね。わかってんの、言われなくてもそんな事。いつまでも産める訳じゃない、確実にリミットがある事だってわかってるから、焦るし、不安にもなる。私は子どもを生んで育てたいと思ってる。でも、子どもを作るって一人で出来る事じゃない。そういうタイミングに出会えていない人達にとって、あんた達の言葉は本当に無神経だ。」って泣きながら一気に捲し立ててちょっとスッキリした。彼は「普通なら黙ってフンフンって聞いてるだろ?でも、そんな風に感じてるんだって言ってくれて良かった。」と受け止めてくれたので、私も溜飲が下がった。

 子どもを生む事に興味のない人達にとって、「子どもは生んだ方がいいよー。」と薦められる事は余計なお世話になるだろう。私の様に、生みたいけれど今の所そういう状況に恵まれていない人達にとってはプレッシャーになる。薦めてくれる人達は、善良な人達だからその様な言葉が出る訳で、悪気はないと言うのがやっかいな所だ。昨日、男友達に私が捲し立てられたのも、彼が男だからであって、お腹を痛めて生んだ女性に言われたら、私はフンフンと聞いてやり過ごしていただろう。男に言われるよりも、女に言われる方が説得力がある。

 その状況に置かれなくなると、大変だった事も都合よく忘れてしまうのが人間だ。
 もしも私が子どもを持って、世界観が変わり、子どもとの暮らしに幸福を感じる様な日々が来たとしても、そうではない人達の存在を意識出来る様にありたい。
 もし、子どもを生む機会に恵まれなくても、その事で私の人生は「もの足りなかった」「不完全だった」と思わない様な生き方をしていたいと思う。

                                つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-14 23:03 | TSUBAKIng Times

出産無料化!?

a0038862_20592928.jpg  少子化対策 出産費無料化を検討 猪口担当相
 
 猪口邦子少子化担当相は13日午前の閣議後の記者会見で、少子化対策について「フリーバース(出産費無料化)を広く検討することは視野に入る」と述べ、出産費用の無料化を検討していく方針を明らかにした。国が全額負担することも含め、経済支援によって出生率の低下に歯止めをかける考え。猪口氏は同日午後に開く政府の少子化社会対策推進会議でこうした意向を伝えるが、財源をどう確保するかは不透明だ。
 政府は現行の「出産育児一時金」について、20日召集の通常国会で健康保険法などの改正案を提出し、30万円から35万円に増額する方針。この一時金は母親か配偶者が加入する健康保険組合などから支給されている。
 しかし、入院・分べん費や出産準備にかかる費用などを含めると、実際に出産にかかる費用は、個人差もあるが35万円を上回るケースが多い。出生率低下の一因には経済的な問題があるとの指摘もあり、猪口氏は出産費の無料化を少子化対策の柱の一つにする意向だ。ただ、財源をどう確保するかが最大の課題となっており、今後関係省庁と調整する方針。
 政府は、日本が昨年から推計値で初の人口減少社会に突入したことを受け、3歳未満の乳幼児に対する「育児手当」の新設や6歳未満の乳幼児への医療費無料化なども検討している。
(毎日新聞)

 昨日の夕刊に踊った『出産無料化』の文字。
しかし、コレが出生率の低下の歯止めになる政策だとは思えません。
だって、費用がかかるのは出産するその時より、その後20年程継続する子育てなのだから。
出産の費用を工面するよりも、その後何年、何十年と継続する養育費を工面し続ける方が大変なのだから。産んだところで、預ける保育園もない状況。所得によっては高額な保育料。子育てをする親達に決して優しいとは言えないこの環境。
 『出産無料化』も実現すれば嬉しい。けれど、生まれた後の社会に安心出来る物がなければ、産もうとは思えないのではないだろうか?

                                    つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-14 21:18 | TSUBAKIng Times

TSUBAKIng Times ~新春・運気上昇祈願号~

a0038862_19234092.jpg なるべくなら出会った人とのつながりは大切にし、つながり続けていたいと思う方だ。なぜなら、お金も地位も立派な家柄もずば抜けた才能も持ち合わせていない私にとって、唯一の財産は人との出会い、そしてそのつながりに尽きると思っているからだ。大きな苦労をして生きてきた訳ではないけれど、あらゆる局面で私を支えてくれ、また刺激を与えてくれたのは出会ってきた数々の人。

 「趣味は何ですか?」と聞かれ、「手紙を書く事です。」と間髪入れずに答えていた私も、パソコンでのコミュニケーションが日常化し、手紙を書く機会もめっきり減ってしまった。けれど、せめて年に一度のクリスマスカード(コレは主にキリスト教を信仰する、又はそういうバックグラウンドで育った外国人の友人に)や年賀状はないがしろにしない様にしようと思っている。

 そして、ここ数年、日本人の友人やお世話になった方々に送っているのが、完全手書き、輪転機で印刷した『年賀版 TSUBAKIng Times』。今年は『新春・運気上昇祈願号』と題し、家族・親戚・友人・同僚・お世話になった方々に約150部程郵送もしくは配布させていただいた。慌しい年末に、手間がかかるこの作業はなかなか大変なのだが、きちんとコレをやらないと1年にけじめが付かない様な気持ちになる。

 今朝職場に行くと、50代の男性の同僚が、「昨日、TSUBAKIng Times読んだよ。君、ウマイなぁー。あんな小さい字で書いとったら、たいてい途中で読むの止めるやんかぁ。でもなぁ、最後まで読んだわぁ。おもしろかったんやろなぁ。」と感想を伝えてくれた。

 また、40代後半のある女性の同僚は、お弁当を食べている最中だった私に、さっと手紙を渡してくれた。彼女は、便箋1枚に整った美しい字で、TSUBAKIng Timesの感想を書いてくれていた。「字が詰まっていて目がチカチカしたけれど、とても楽しく読ませていただきました。」と。私に対し「何か異色を放っている」と感じていた彼女は、このTSUBAKIng Timesを読んで(私に対し)「今まで点であったものが一部線になってつながった」と書いてくれていた。

 仕事に追われる職場において、その人がどの様な人か、どの様な生き方をしてきた人か、何を大切にして生きている人か、知る機会は少ない。自分を語る時間などほとんどない。でも本当は、そういう時間を大切にしたいと思っている。

 年賀状ではなく、年賀レターを送る事でいい所は、彼女の様に丁寧に感想や近況を書いた手紙を送ってきてくれる方が少なからずいる事だ。改めて手紙の良さを実感する。

 発信した物に対し、受け取り手が反応する。その受け取り手から発信される物を、今度は私が受け取る。その相互作用、そこから生まれる化学変化が好きで、私は発信する事を続けるのだと思う。

                               つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-12 20:26 | TSUBAKIng Times

Jamaica行き壮行会@Restaurant JAMAICANA

a0038862_23112069.jpg Jamaicaに旅立つ日もいよいよ近づいて来た。航空券も既に手元にある。どの国に、どの様なルートで、どの様な交通手段を使って旅に出るかを画策し、航空券をはじめとする旅への切符を押さえる瞬間の高揚感と、旅の長さと環境にあった物を厳選し、数週間前からコツコツとパッキングをし始める時間が異様に好きだ。

 初めて訪れる国・Jamaica。ソーシャルネットワーキングのサイトのひとつmixiのJamaicaコミュニティで、現地に住んでいる人、既にJamaicaを旅した事がある人達から、様々な情報を得てはいるが、やっぱり不安はある。なんせ、決して治安が良い国とは言えないからだ。

 「こりゃぁ、Jamaica人に直接話を聞くのが一番!」と思った私は、葵と共に、Jamaica行き壮行会を兼ねて、中山手にある『JAMAICANA』と言うJamaica人がやっている、Jamaica料理のレストランを訪れた。震災前から、当時北野に住んでいた姉のマンションを訪れる度に気になっていたこのレストラン。初めて訪れたのは昨年の秋。そして今日が2度目だった。

 コックのDくん(Jamaicanoです。)は、1度しか訪れた事のない私の顔を覚えてくれていたみたいで、まずはお互い右手をグーにし、拳をあわせて挨拶。早速「2月にJamaica行って来るよ!」と報告。
 仕事が一段落つき手がすくと、テーブルまで来てくれたDくん。長身で体格もいい。そして、笑顔がサイコーにかわいい。私はガイドブック片手に、「バス旅行は安全か?」「コストはどれ位?」「ココには安いゲストハウスがあるかしら?」「ダイビングに適したポイントは?」等、様々な質問をした。最後に、「オーチョ・リオスに住んでいる僕の弟を紹介するから、今度、彼の携帯の番号を教えるね。」と言ってくれたDくん。かわりに「届けたい物があれば持って行くよー!」と言った私。彼は日本に来て2年半。その間Jamaicaには帰っていない。

 最後にもう一度、右手でグーを作り拳と拳を合わせ、「respect!」とお互いに声をかけてレストランを出た。

 Dくんが生まれ育ったJamaicaで、私はどんな人達と、「respect!」と言いながら、拳と拳をつき合わす様な出会いに恵まれるのだろう。うん、楽しみになってきた!

                                   つばき

 

by bigcamellia814 | 2006-01-11 23:37 | viaje(旅)

どうしても、もう一度見てみたい!~Bamboozled

a0038862_22423153.gif どうしても、もう一度見てみたい映画がある。2000年に公開されたSpike Lee監督の作品・『Bamboozled』。

 フィリピンに住んでいた頃、ケーブルテレビから流れるアメリカの映画番組をつけていた時、偶然出会ったこの映画。途中から見始めたので、誰の作品の、どんなタイトルの映画かエンロールを見るまでわからなかったのだが、途中から「コレは絶対Spike Leeの作品だ!こんな、黒人問題を前面に持ち出した作品を作るのは彼しかいない!」という確信が芽生え、吸い込まれる様にその映画を見た。英語字幕もなかったので、私のリスニング能力では細かな内容を理解する事は不可能だったが、最後には涙が流れた。
 そしてエンロール。私が確信した通り監督はSpike Lee。そしてタイトルは『Bamboozled』。

 『Bamboozled』とは、「~煙に巻く」「~をだまして~をさせる」「ペテンにかけて~を巻き上げる」等の意味を持つ動詞だ。

 この映画は、ミンストル・ショーという「俳優が顔を黒く塗って“陽気で間抜けな黒人”になりすまし、ドタバタ・コントをしたり、歌ったり踊ったりする娯楽ショー」を題材に、黒人向けテレビ番組を皮肉ったコメディ映画である。
 『マルコムX』をはじめ、一貫して黒人問題を扱ってきたSpike Lee の映画の中でも、真っ向から黒人差別に挑んだ過激な作品だと私は思う。

 しかし、この映画、日本では公開されなかったらしい。日本でこの映画のDVDを入手するのも困難。しかし、もう一度見てみたい。可能なら、日本語字幕付きでしっかり内容を理解しながら見てみたい。そして、まだこの作品に出会っていない人達に是非とも見てほしい。あまりにも誇張され、ステレオタイプ化された黒人へのイメージと、それを培ってきた歴史、歴史という言葉で終結させる事の出来ない現実について、否が応でも考えさせられる作品だ。

 あぁ、もう一度見てみたい!そうだ、2月にJamaicaに行く時、CanadaはVancouverで長時間のトランジット。フィリピン在住の際、フラットメートだったカナダ人の友達と会う予定。事前に彼女に連絡して、『Bamboozled』のDVDを買ってきてもらう!さぁ見たい方!我が家へ集まれ!

☆『Bamboozled』参考HPはこちら→

☆上の絵は『Bamboozled』のポスター。ステレオタイプ化された黒人の女の子の周りには綿花、手に持っているのはスイカ。綿花とアフリカン・アメリカンとの関係はほとんどの人がご存知だろうが、スイカとアフリカン・アメリカンも関係が深い。今でこそ白人もスイカを食べる様になったが、かつてはスイカと言えば黒人が食べる物で、白人は食べなかったそうだ。

                                 つばき

by bigcamellia814 | 2006-01-10 23:57 | cine(映画)

年に一度の往復書簡 神戸⇔サンフランシスコ

 
a0038862_12381543.jpg 1通のエアメール。
 アメリカはサンフランシスコから。
 クリスマスカードを送ったMr.Alejandroからだ。

 2003年の今頃、私はバックパックを背負い、東海岸から西海岸に向け、
 バスでアメリカ大陸を横断する旅をした。
 アメリカ大陸の最終目的地はサンフランシスコ。
 結局、1日しか滞在しなかったのだが、その時ダウンタウンで出会ったのが、
 Mr.Alejandroというおじさん。
 彼はストリートで自分が作ったクラフトを販売していた。
 なんと説明すれば良いのだろう、説明し難い彼の作品。
 でもなんとなく可愛くて手に取った。
 たぶん南米からの移住者であろう彼は、人なつっこく私に話しかける。
 笑顔がいい。思わず「写真を撮らせて。」とお願いする。
 結局、彼の作品を買う事なかったが、お互いの住所を交換した。
 「彼は手紙を書くよ。」と言った。
 私はあまり本気にはしなかったけれど、「この写真送るね。」と言った。
 たったそれだけ。彼と共にした時間は10分?20分?その程度。
 とにかく、たったそれだけなのだ。

 旅を終え、帰国し、実家に帰ると、
 いくつかのエアメールの中にMr.Alejandroからの手紙。        
 ちゃんと忘れずに、約束通り手紙をくれたのだ。
 彼が、『瞬間』に近い様な接点を大事にしてくれる人であった事に心が温かくなった。

 それから、毎年送るクリスマスカード。年に一度の近況報告を彼に送る。
 彼は、必ず返事をくれる。
 でも、あまりに達筆(!?)過ぎて、読めない所もあるのだけど。

 彼からの手紙の最後、付け加える様に書いている、私の質問の答え。
 「ところで、今もストリートでクラフトを売ってるの?」と言う問いに、
 『Still selling!』

 私が出会ったあの場所で、彼は今も、街行く人に陽気に声をかけているのだろう。
 あそこに行けば、また彼に会えるのだ。

                              つばき

 

by bigcamellia814 | 2006-01-06 22:27 | viaje(旅)