2007年 11月 29日 ( 1 )

巻き込まれる私 巻き込まれない私

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 例えば、その人との関係性にある一定の距離感が保たれていれば、
どっちつかずでハッキリしない態度にも、
「迷うよねぇ~。時間かけていっぱい悩んだらいいヨォ~。」と言葉をかける事が出来るし、
急に考え方が変わったとか心変わりしたとかであれば、
「そんな事もあるよねぇ~。」と素直に受け止めてあげる事だって、私には出来る。

 しかし、相手との距離感が一線を越えていたり、
起った状況に対して我が身の当事者性が高ければ高い程、冷静な対応が出来なくなる。
「いっぱい悩んだらいいよぉ。」と言った口から、
「いい加減、ハッキリしなよっ!」という怒りが発せられ、
「そんな事もあるよねぇ。」と寛大に受け止めた心の内から、
「そんなのあり得ない!」と叫びたくなる。
相手の立場とか気持ちなど考える余裕がなくなる。
そこで感じる負のエネルギーは、思いの他私を消耗させる。

 そんな時、自分を第三者の立場においてみる。
というか、客観性を失っていない時の自分を思い出してみる。
そうそう、今日もしんどそうな学生が、わざわざ私を訪ね話をしに来てくれたのだが、
そんな時の私は、丁寧に傾聴しながらも、決して相手のしんどい状況に巻き込まれたりはしない。もしも私がその学生の親ならば、「もうちょっとシャキッとしなよ。」の一言でも言いたくなりイライラるかもしれないが、一定の距離感がある関係だからこそ、私はその学生の世界に巻き込まれたりはしない。その学生の世界と私の世界を混同することがないからだ。
誰かの世界に私の世界が巻き込まれ、私が混同する時、今日みたいな出来事を思い出してみよう。私は確かに、相手の気持ちを傾聴し、受け止める力があるじゃないかと。
自分に起きた出来事を、あえて客観的に捕らえなおすという事を試みると、
負のエネルギーに支配され、何も手につかないという状況から少しだけ解放される。

 しかし、感情なんてものは、当事者性あってのものだから、
そこをあえて客観的になる努力をするなんて、なぁーんて不健康なんだ!とやっぱり思う。
もの分かりよくなる必要なんてないのだ。
という結論に結局行き着き、ふてくされたいだけふてくされておこうと思うのだ。

                               つばき

by bigcamellia814 | 2007-11-29 22:17 | TSUBAKIng Times