2005年 11月 27日 ( 3 )

a0038862_1749435.jpg 興福寺、春日大社、東大寺、奈良の名所を観光した後は、町屋が軒を連ねる奈良町を散策しに出かけた。そこで、以前、ある女性誌に取り上げられていた『ならまち文庫』という、古本と雑貨を扱っている小さなお店を発見。そこで頂いてきた『組画&ならまち文庫新聞』に載っていた、ホラー漫画家・楳図かずおさんと奈良を舞台にした映画をよく撮っている映画作家の河瀬直美さん(昔、彼女の作品とトークショーを見に行った事があったなぁ。私が好きな奈良の吉野の風景を愛情深く映像にされている方です。)の対談を読んで思ったあれこれ。

 『道とものを考えることは直結していると思う。道のないところに哲学は生まれてこない。車がA点からB点に急ぐだけの道路はいっぱいあるけれど、そういった道路では哲学は生まれない。今の日本が混乱しているのは、道路は増えたけれど、道がなくなったせいじゃないかな。』

 『道は人間の生活と一緒にあったはずなのに、文明が進化してくると、経済の便利性のみ求めるところにいっちゃって、道が日常から掛け離れたものになってしまった。道は考える場所として僕は生きてきたので、道が道路になった時点で、僕とは縁がないなぁという思いで、いつも道を探して歩いているんです。』・・・これは楳図さんの言葉。

a0038862_18365122.jpg この言葉と出会う前日、インターネットで偶然に読んた見ず知らずの方のある日記。
 子どもを連れて車通りの激しい道を歩いていた時の事。少し先を行く子どもが、車が横切る瞬間に、その影を踏まない様にジャンプしながら歩いている様子を見て、「やった、やった。私も、やった。」と思い出す。聞けば、毎朝、友達とそうしながら通学しているらしい。

『「通学するときでも遊んじゃうその心」が子供らしくていいなあと あらためて羨ましく思った。』

『今の私は出かけるときにはただひたすら目的地に着く事だけを 考えている。 それはちょっとつまらない気がしてきました。。。』 ・・・という書き手の方の言葉。私は、思わず深く頷いた。

 『A点からB点に急ぐだけの道路』がいっぱい増えた事によって、『ただひたすら目的地に着く事だけを考えている』人達を増やしてしまったのかもしれない・・・

 この時期、居間に座っていながら、日の出と共にオレンジ色に染まった雲海を一望出来るような山の頂上で生まれ育った私にとって、道は最高の遊び場で、それでいて、一人で悩んだり、誰かを思ったり、空想したり、泣いたり、そんな自分を元気づけるために大声で歌ったりする場所だった。

a0038862_19551938.jpg 子どもの頃は、通学路が遊び場の全てだった。季節によって様々、白つめ草やレンゲの花で編む冠、上級生が採ってくれたアケビの味、山百合を採るために急斜面を登った事、どんぐりを拾って笛を作りながら帰った事。歩きながら、安全ピンでどんぐりをほじくって笛を作る。考えてみれば、信号もなく、車の通りもほとんどなく、周りの人は皆、私がどこんちの子どもか知っている様な町だったから出来た事なのかも。
 小学校1年の時、上級生の後をついて、すごーく遠回りして帰る大冒険を試みた。家に着いたとたん「帰ってくるのが遅い!」と心配していた祖母に激しく怒られた。母は、泣きじゃくる私に「よく帰ってきたねー。どこ通って帰ってきたん?遠いのによう歩いて帰ったねー。」と声をかけ抱きしめてくれた。子どもの私にとって、道は遊び場の宝庫だった。
 広島で、小学校1年の女の子が殺害され、ダンボールに入れられた状態で発見されるという事件が起きたばかりだが、遊び場であり学びの場である道が、どんどん安全じゃなくなっている。

 空想と思いを馳せる事が日常だった私は、道を歩きながら、いろんな事を考えた。歩いているという感覚を忘れる程、脳の中では様々な事が展開している。「何で、うちの家族は仲が悪くて毎日ケンカするんだろう?5歳の私が傷ついていないとでも思っているのか!」と泣きながら登園した通学路、高校生の時、綺麗な月を見上げ、「湾岸戦争の渦中にいる人達は、こんな風に『月が綺麗だ。』と見上げる事もないのだろう・・・」と絶望的な気持ちになった日の暮れた帰り道、好きになった男の子との数々の妄想、そして実現への期待を膨らましながら歩いた道。
 
 今でも私は、現実と空想と妄想が入り混じった独り言を、頭の中で展開させながら道を歩いている。そしてまだ、私が住んでいる長田には、かろうじて、考え事をしながら歩ける道が残っている。

 けれど私の日常は、A点からB点、目的地に正確な時間に到着しなければならない毎日の繰り返しだ。時々、時間に追われて何やってんだ?と思うが、それが仕事だから仕方ない。

 だけど、そうしないでいい時くらい、しっかりわき道、より道、みちくさして帰ろう。そういう人が居なくなった町には、『道』が消え、『道路』が幅を利かせる様になっちゃうのだから。

                              つばき

by bigcamellia814 | 2005-11-27 19:53 | 言霊

あらためて見てみると・・・

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 仕事で、奈良に行った。障害のある方のガイドヘルパーとして奈良の名所を観光してきた。

 20年ぶりに見る、東大寺の大仏。小学校の修学旅行以来だ。
 それ位昔の事だから、私の記憶にあるのは、「確か、東大寺の前で写した集合写真には、鹿
 が一緒に写ってたよなぁ。」ってそれ位。
 20年の歳月を重ね、あらためて見てみると、なんだか感動すら覚えた。
 私がその大きさに驚いたのは、大仏よりもむしろ東大寺そのものの、そしてその敷地の広さ。
 それから、大仏は写真撮影が認められてる事。

 興福寺にあった千手観音は、なかなかエキセントリックな風貌で、右から左から正面から、食い入る様に眺めてきた。『千の慈眼で民衆を見つめ、千の慈手で民衆を救う』と言われる千手観音。四方八方に広がるいくつもの手には、蓮の花とか、鉈とか、ムチの様なモノ等、様々なモノを持っている。私の悩みは、あなたのどの手で救って頂けるのか?そんな事を考えながら、ひとつひとつ確認していくのは面白い。しかし、神という目に見えない存在を、あれ程奇想天外に偶像化した、まず初めの誰かさんを、私は心から尊敬する。
 
 年を重ねて初めて分かる面白さ、魅力がある。
 12歳の私が、同じあの場所で、何を感じたのかは今はもう思い出せない・・・

                         つばき

by bigcamellia814 | 2005-11-27 17:27 | TSUBAKIng Times

あらたなるマイブーム~断食道場~

a0038862_16262591.jpg 好奇心が旺盛なのは私の最高の長所だと思うが、「アレもしたい!」「コレもしたい!」と次から次へと湧いてくる欲求に、「あぁ、やりたい事、全部やろうと思ったら人生80年なんて全然足りないんじゃないか・・・」と急に寂しくなって、落ち込んだりもする事もある私だ。

 そんな私に訪れた、あらたなるマイブーム。それは『断食道場』。
先日、友人のブログの中に「断食」なる言葉を見つけ、ここしばらく忘れていた『断食道場』への思いが再燃した。

 私が断食に興味を持ったのは10年前の事。知人にお願いされ、ブルースシンガーの近藤房之助さん(ちびまる子ちゃんの主題歌「おどるポンポコリン」を唄っていたB.Bクィーンズのあのオジさん。本当にかっこいい方です!)のライブにて、楽屋のお世話をさせてもらった時に遡る。ライブが終わった後の打ち上げで、私は、近藤さんの目の前に座り、バンドの皆さんも交えて色んなお話を伺う機会に恵まれた。その時、近藤さんが「ハタチの時から体型変わってないんだよねー。若い頃から度々断食してて。」と話されていたのが、私が断食に興味を抱いた直接のきっかけだった。
 確かに、当時40代半ばだった近藤さんの体は、同年代の男性にありがちな体型のそれとは違い、実にスレンダーだった。ボクサーの様にストイックに鍛え上げた体というのとは違うが、ミュージシャンらしいと変に納得させられる、無駄のない体だった。ライブを終え、汗だくで楽屋に帰ってきた近藤さんが、洋服を脱ぎ、上半身裸になった時はドキッとした。長身の彼が、上半身裸のまま、軽くウェーブのかかった長い髪をかきあげる仕草は、実にかっこ良かった。
 「あの無駄のない体は、断食によるものなのか?」彼の上半身を思い出し、しげしげと納得した私。体型だけでなく、彼の歌や所作のひとつひとつに、邪魔な物を感じさせない何かを感じた。

 ここ最近、会う人会う人に「私、断食したい!断食道場行きたい!」と話してまわっている私。やりたい事は、とりあえず口にするタイプだ。一人心の中で目論むという事がまるで出来ない。それを聞いて数人の友人が「絶対!体に悪いって!」と断食を否定。ねぇねぇ、それは断食ってモノを知らない人の発言ですよー!断食にもタイプは様々。水以外は一切飲めないという療法から、生姜湯やりんご汁を取り入れている所もある。もちろんいきなり食を断つ訳ではなく、食事の量を減らしていく予備断食を経て、何も食べない本断食を過ごし、最後に胃腸を回復させる回復食という三段階で行なわれる。
 
 「お金かけて断食するなんてバカらしいやん!家でやればいいやん!」とこれまた数人の友人。そんな事、精神力のない私が出来る訳ないじゃん!例え家中の食料を処分したとしても、近所にはスーパーやコンビニがあるのだから、買いに行くのは容易。テレビ、雑誌、食にまつわる過度な情報はあらゆる所に溢れている。そして、家に居れば、あれをしなきゃ、これをしなきゃと体を動かす、体を動かせば空腹になるのは当然。断食にのみ集中出来る環境を自宅で作るのは難しい。それに断食はれっきとした療法なのだから、アドバイザーの助言を受けながらやるのが賢明だ。
 
 ダイエットというイメージも強いが、私が目指しているのは体の浄化。現にダイエットだけでなく、アトピーやその他の体調不良を理由に、断食を試みる人も多い。もともと日本人は、素食の文化を持つ国。食への刺激が過剰に溢れている場所から、一旦自分の体も心も切り離してみたいというのが、私が断食に惹かれる大きな理由。資料を取り寄せたある断食道場のパンフレットに書かれていた言葉。『断食とは何も食べないことだけを言っているのではありません。体に入ってくるあらゆるものを断つ。現代社会においては、それがストレスであったり、人間関係であったり、様々な体に悪影響を及ぼすものを断つことを意味します。』ー食だけじゃない、あらゆる過剰な情報や刺激から切り離された場所で過ごす時間を持ってみたい。

 断食に必要な日数は最低1週間。出来れば2週間はやってみたいけれど、今、それだけの時間を作る事は難しい。でも、子どもを作る前に絶対チャレンジしてみたい事。そうなれば、ここ数年のうちだな。

 旅でも何でも、目論む時間が一番好き。断食で苦しむ自分は考えない、考えない・・・・

                           つばき

 

by bigcamellia814 | 2005-11-27 16:13 | TSUBAKIng Times