中島らもを読む

a0038862_22374787.jpg 中学生の頃、朝日新聞日曜版に掲載されていた中島らも氏の『明るい悩み相談室』を読むのが好きだった。とうてい事の解決には結びつかなそうな回答だが、発想の転じ方がオモシロかったし、何より「ゆるさ」と「だるさ」を文面から滲み出させる、このテキトーな大人は何だろう?と興味深々だった。

 だからと言って、彼の本をよく読んでいた訳でなければ、舞台を見に行った事もない。しかし、ところどころで目にとまる、気になるオジサンではあり続けた。

 非常に不謹慎だとは思うが、50歳を越えて大麻所持で捕まった時も、52歳で酔っ払って階段から転落しそのまま亡くなってしまった時も、「なんて、中島らもらしいんだろう。」と思わずにはいられなかった。

 彼が亡くなってから3年、彼の妻であった中島美代子氏によって書かれた『らも ~中島らもとの三十五年』と、生前、中島らもが書いた躁うつ病&アルコール依存症闘病記『心が雨漏りする日には』を連続して読んだ。
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 2人の出会いの舞台は、私の生活圏内つまり神戸で、ロケーションを想像しながら読めるとというのは作品に愛着が湧くものだ。中島らも行きつけの店として名前があがっていた三宮の「正宗屋」と「八島」。居酒屋と言うより、大衆酒場と呼ぶに相応しい店内。オヤジ&喫煙率最高レベル。先日、葵と「居酒屋行きたいねぇ。」という話になり、葵が「じゃぁ、あそこ行こう!」と言って、私を連れて行った先が「正宗屋」だった時には、葵に中島らもと同じ匂いを感じずにはいられなかった。

 中島らもが破天荒なのは誰しも知るところだろうが、連れ合いの美代子さんもなかなかの女性だった。家庭の中で、ラリったり、スワッピングが行なわれたり、その様な状況の中で、子どもはどんな風に育つのだろうかと私が疑問に思うのも当然だろう。

 その時の状況を当事者の視点から語ったものと、周囲の人の視点から語ったものとを平行して読むというのは興味深い。破天荒な中島らもとの関わりの中で、傷つきながらも、離婚など一度も考えた事もなく、彼を愛し続けた美代子さんの綴る言葉は、50を過ぎていると言うのに、まるで中島らもに宛てたラブレターのごとく、ティーンの様な純粋さを感じるものだった。

 20代後半でもなく、30代でもなく、
10代の終わりという、大人の入り口の一歩手前の時期に始まった恋が、その先、何十年とその人と関わり続けることになるという状況を想像してみる。
30を過ぎ、その頃の恋愛はとうの昔に終わってしまった自分にとって、もう実現は不可能だ。
出会った10代の頃には想像していなかった数々の状況を、何十年と共に過ごす、そこには何があるのだろう。

                                        つばき

 

by bigcamellia814 | 2008-02-15 22:51 | libro(本)

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