統一マダン・神戸

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 在日韓国・朝鮮人が多く住んでいる長田区。「焼肉」「平壌冷麺」の看板を掲げる店も多いし、市場ではキムチをはじめとする韓国食材を売っている店も多い。窓を開けていると、どこからとはなしに「オモニ、おつかれさーん!」なんて声が聞こえてきたりする。

 毎年この時期、新長田の駅前広場で「統一マダン・神戸」というイベントが行なわれる。マダンとは「広場」という意味。兵庫圏内の在日韓国・朝鮮人の青年達が中心となって企画されるこのイベント、今年で9回を迎える。

 広場には、チヂミや韓国冷麺が食べられる韓国屋台だけでなく、ベトナム、タイ、インド、スリランカ、中国、ギリシャ、フィリピン、奄美等各国・各地方の屋台も軒を連ねる。最近では、ベトナム人をはじめとし、主に東南アジアからの移住者が増加している長田ならではである。
 舞台では、サムルノリ、沖縄のエイサー、中国の獅子舞、和太鼓に韓国民謡と様々な音と踊りの共演が繰り広げられたり、中国武術やテコンドーの演舞も行なわれる。上の写真は、チャンゴのリズムが心地よい韓国民謡に誘われて踊り出すオモニ達。かなりSoulfulだった。

 私が初めて長田を訪れたのは19歳の夏。大学の同級生である、在日朝鮮人の友人の家を訪ねた時の事。「おばあちゃんの住んでる所に行こうよ!」と言われ、連れてこられたのが新長田。狭い路地に並んだ長屋に、在日一世である彼女の祖父母は住んでいた。
 私が訪れたその時期は、ちょうど韓国の旧盆だった。机の上に用意された旧盆の為の料理の数々。今でこそ韓国料理はポピュラーな物になったが、私が韓国料理なる物を口にしたのはこの時が初めてだった。孫娘の所に遊びに来た初めての日本人(私の訪問は彼女の家族にとって大きな出来事だった様だ。なぜなら、小学校から高校まで朝鮮学校に通っていた彼女には、大学に入るまで日本人の友人がいなかった。)の私に対し、友人の祖母は、済州島の訛りがたっぷり含まれた韓国語で、まるで叱られてるのかしら私?と錯覚する程大きな声で威勢良く、あれも食べろ、これも食べろと勧めてくれた。隣で「おばあちゃんの韓国語、済州島の訛りがひどいから、時々何言うてるんか理解できひん。」と苦笑する友達。
 開け放した窓から、向かいの家の話し声が聞こえてくる長屋の2階で、派手な色をした韓国の布団に初めて寝転がった。ウトウトしているおばあちゃんの隣りで、野球中継を見ながら、大声上げてタイガースを応援していた友人。10年以上も前の事なのに、あの時の風景を宝物の様に大事に覚えている。

 先日、久々に作家・小田実さんの『「アボジ」を踏む』(出版:講談社)と言う短編を読み返した。ここで登場するアボジとは、上にあげた私の友人の祖父にあたる。つまり、私の友人は、小田実さんの姪に当たると言う訳だ。
 この小説の主人公「アボジ」は、私が19歳の夏に、ここ長田で出会った、あのハルボジ。小説の中で、『「アボジ」は昔は「ゲーリー・クーパー」と娘達に言われた男であった。』と書かれているが、当時19歳だった私ですら、80歳前後の彼を見て色気を感じたのだから、「ゲーリー・クーパー」と呼ばれていたのにも納得出来る。行動が実に紳士的な人だった。
 アボジは、末期癌に侵された状態で、1995年1月17日、あの阪神大震災によって被災した。ここ長田の、あの軒先がひしめき合う長屋の並びの中で。「生で帰る」と言ったアボジの言葉通り、生きている間に故郷・済州島に帰ったものの、震災からひと月もせぬ内に、彼はこの世を去った。

 昨年、ここ長田に引っ越してきた。初めて訪れた19の時から既に11年が経っていた。震災の時、最も大きな被害を受けたこの街も、今ではずいぶん復興した。しかし、私が11年前に訪れたハルボジとハルモニの家は、いったいどの辺りだったのだろう?もう、跡形もない。

 それでもこの街には、未だに多くの在日韓国・朝鮮人の人達が住んでいる。朝鮮民謡とチャンゴに合わせてハルモニが踊り出す。そんな街なんだ。

                  つばき 

by bigcamellia814 | 2005-10-02 17:16 | 長田そぞろ歩き

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