覚悟して観る 〜キム・ギドク監督と『嘆きのピエタ』〜

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 2月22日、別府を訪れた。
別府八湯日韓次世代映画祭に、あのキム・ギドク監督がやって来ると言う。
彼に一目会いたい、ただそれだけの思いで、別府を目指した。

 キム・ギドク監督は、昨年9月、第69回ヴェネチア国際映画祭で、最高の栄誉である金獅子賞を受賞した。その授賞式の場で、彼は「アリラン」を歌った。そのニュースを、横浜のゲストハウスのTVで知った私は、「良かったね、良かったね」と呟きながら、涙が出た。

 オダギリジョーが出演した「悲夢」以降、
彼は3年間、映画を撮ることが出来ず、山に篭って暮らしていた。 
自らその様子を写した「アリラン」は、私にとって衝撃的な映画だった。
私が彼の作品のファンだからかもしれない。
冒頭から、涙が止まらなかった。
けれども、それを差し引いたとしても、
自らを追い詰め、問い続け、
恐怖に震える我が身を、私たちの前に全て曝け出したキム・ギドク監督の覚悟に、
心を打たれる人は多いだろう。

 その映画のラスト、キム・ギドク監督は「アリラン」を歌う。
今まで、いろんな人が「アリラン」を歌うのを聞いたけれど、
あれほど、人間臭い「アリラン」を聞いたことは他にはない。

 そして、その延長線に、
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、
再び「アリラン」を歌うキム・ギドク監督の姿があった。

 泣けるだろう。
ファンならなおさら、泣けるだろう。


 「嘆きのピエタ」上映を前に、キム・ギドク監督は私たちにこう語った。
「この映画の中には、見るのが辛いシーンもあります。
どうぞ覚悟して見てください。
覚悟して見て、生きていくということはどういうことなのかという意味を、
メッセージとして受け取ってください」と。

 ここでは映画の内容には触れない。
これから「嘆きのピエタ」を観る多くの人たちにために、
自分の欲望は留めるのがふさわしいと思うからだ。

 それと同時に、この心の痛みを言葉にするには、
随分と時間が必要だろう。

 「どうぞ覚悟して見てください」の言葉の重みを、
私は、日増しに感じている。
彼のこの言葉は、単に、残忍なシーンが出てくることだけを指しているのではない。

 「嘆きのピエタ」は決して、観るに楽な映画ではない。
映画を見終わってからも、しばらくは、この痛みと向き合い、付き合うのだ。
残念ながら、観てしまった以上、ここから逃げられない。
彼が言った覚悟とは、こういう事だったのかと、
私は、日を追うごとに、彼の発したこの言葉の意味を、じっくりと味わっている。

 
 挨拶が終わり、会場を立ち去ろうとするキム・ギドク監督を、
私は追っかけて行って握手を求めた。
こう見えて、案外私、そういうことは出来ないのに、
「このチャンスだけは逃してはいけない」と追っかけた。

 何か言おうと思ったけれど、咄嗟のことに何も言葉が出ず、
「キム・ギドクさん・・・」と言って、手を差し出しただけだった。
何か、気の利いたこと言えよ、私。
ハングルがダメでも、「とにかく、あなたの作品が大好きです」とか伝えろよ、私。

 しかし、握り返してくれたキム・ギドク監督の手は、
予想に反して、ふわふわとした優しい手だった。
「あぁ、この手で、あの脚本を書くのか!
この手で、あの映像を撮るのか!
うわぁ〜!うわぁ〜!うわぁぁぁぁぁぁ〜!」と心の中で震えながら叫んだ。
嬉しい、私。
また1人、会いたい人に会うことが出来た。

 以下は、観客動員数50万人を超えた「嘆きのピエタ」を、公開第4週で上映を終了したキム・ギドク監督が、私たち観客に宛てたメッセージ。感動します。ぜひ、彼のたたかいを読んでください。

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(私の目の先にはキム・ギドク・・・・)
 
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『ピエタ』の観客の皆さんへ感謝のメッセージ

至らぬところの多い映画「ピエタ」が今週末、観客動員数50万人を超えました。僕には50万人ではなく、500万人の観客を動員したも同然です。

20代から70代のお年寄りの方まで、皆さんが「ピエタ」を見てくださいました。

娯楽映画でも、商業映画でも、コメディ映画でもない「ピエタ」を50万人の観客が見てくれたという事実は、僕個人の価値よりも韓国を映画文化の先進国にしていく上で重要な価値だと思います。

僕が外国に行って一番うらやましいと思ったのは、20代から70代までの人が同じ映画を見て、映画館の前であらゆる世代の人々が自由にその映画について議論する姿でしたが、「ピエタ」によって、そのような時代が来たと思います。

この前、「ピエタ」がヴェネチア国際映画祭で受賞し、記者会見でメジャー映画の映画館独占と交差上映に関する問題と、クリエイター優先の制作環境にすべきという問題を提起しました。

しかし、いまだにシネマ・コンプレックスのスクリーンを1~2本の映画が独占しており、同時代を生きる映画人たちが作った小さな映画が上映の機会を得ることもできず、評価もされずに埋もれています。

また、クリエイターの領域が狭くなり、投資家の考えが中心となって監督が交代させられ、彼らによってかつて成功した外国映画が正体不明の奇妙な韓国映画に変身し、映画館を掌握しています。

その映画が、韓国の数多くの映画学校の映画人たちが汗を流し、勉強して作りたかった、新鮮で健康的な韓国映画だと、堂々とそう言える創作物なのかを振り返るべき時です。

ここ10年の間に独創的な映画的挑戦と成果はほとんど失われ、投資会社の社員たちが注文する、どこかで見たような映画が、誇りもなく、観客数と収益という価値だけで評価されています。100年先を見据えなければならない映画産業が、目先の利益を追い、絶壁に向かって走っています。

メジャーはお金にならなければ、映画館を壊してほかの産業をすればそれでいいですが、その過程で犠牲になったクリエイターと撤退した観客には誰が責任を負いますか?

今、この瞬間にも映画館で上映されることを祈り、クリエイターとして血を吐きながら映画を作る多くの映画人がいます。

これまで多くの映画が、記録更新のためやわずかな収益のために、シェアが少なくても映画館を手放さず、無理をして確保していました。

僕は、映画館独占に対する問題を提起した当事者として、9月6日に公開された「ピエタ」の上映終了を配給会社と話し合い、公開第4週の28日目を最後に、10月3日すべての劇場からきれいさっぱり撤退します。そして、チャンスに恵まれない小さな映画に上映の機会が与えられることを心より希望しています。

健全な韓国映画の未来を期待する観客の方々と、「ピエタ」をご覧いただいた方々に心から感謝を申し上げます。

2012年9月24日 監督キム・ギドク


一緒にキム・ギドクに会いに行った友達のブログ:「アリラン」

by bigcamellia814 | 2013-02-25 21:32 | cine(映画)

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