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アフリカンBag作りを再開!~しかし、クーラーがない部屋で真夏の裁縫は気合がいる!~

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 連休中、ご注文頂いていたBag作りを再開!クーラーもない部屋で、黙々と作りました。しかし、真夏の裁縫は気合がいるぅー!!!!!
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 このBag は5cmのマチ付トートバッグ。近々、あなたのところに届きますよー♪
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 こちらは友達にプレゼントしようと思って作った作品。
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 ケータイ写真なので、100%オリジナルカラーを表現仕切れていませんが、私は、この手前のピンクの柄のアフリカンバティックが好き!確か、ロンドンのアフリカンマーケットで購入したと思うのです。(あぁー、あそこまた行きたい!)奥のアメーバー模様のバッグの土台は唐草模様のデニム。これは、私の大好きなKAPITALのファブリックです。バーゲンの時に、残ったファブリックを福袋にして販売していたので試しに購入。KAPITALさん、こんな風に変身させてみましたっ!

 作業中のBGMはUAのカバーアルバム「KABA」。
UA、久しく聞いてなかったけれど、
私、この人の声も、顔も、彼女の選ぶ服も、彼女を写した写真も全部好きだったなぁーと思い出しながら、チクチク、ミシンをカタカタ鳴らしておりました。9曲目の、七尾旅人の「わたしの赤ちゃん」のカバーが好きです。UAの太い眉毛は、メキシコの画家、フリーダ・カーロを彷彿とさせます、私にとって。

 UAって、そう言えば、スワヒリ語。
「花」と「殺す」という2つの意味を持つ。

 いい声だなぁ~。
作業を終えた今も、彼女の歌声が囁いています。

         つばき

by bigcamellia814 | 2010-07-19 23:56 | TSUBAKIng Times

ここにあるブラジル

私にできること

                安田 浩一(ジャーナリスト)


 胸が苦しいよ。死ぬかもしれない・・・。

 深夜にかかってきた電話。半泣きの声で、Aさん(51歳)は私に訴えた。いつものことだと、見捨てるわけにはいかない。万が一ということもある。私は早朝の新幹線で、Aさんの済む豊田市(愛知県)に向かった。

 日系ブラジル人のAさんは7年前に「デカセギ」として来日した。08年のリーマンショックで自動車部品工場を解雇されて以来、いまだ仕事を見つけることができないでいる。それでも今年の初め頃までは、まだ元気だった。連日、ハローワークや派遣会社に通い、仕事探しにも意欲を見せていた。断られても断られても、履歴書を出し続けた。取材でAさんと知り合った私も、ときおり豊田市を訪ねては、仕事探しを手伝った。

 春過ぎからAさんの様子がおかしくなった。体調が悪いわけでもないのに、昼間から寝込むことが多くなった。私がアパートを訪ねても、たいていはベッドの中だった。そして酒臭かった。「どうせ仕事なんかみつからない」と、求職活動への熱意もなくなっていった。さらに、酒に酔うと、何時であろうと私の携帯へ電話をかけるようになった。いつも「苦しい」と訴え、駆けつけると、泥酔状態のAさんが待っていた。

 今回も同じだった。カギのかかっていないアパートのドアを開けると、Aさんは床の上に転がっていた。寝息は安酒の匂いがした。

 私はAさんを抱きかかえてベッドまで運んだ。弛緩しきった表情で、Aさんは「ごめんね、ごめんね。」と繰り返した。

 ベッドに横たわったAさんは、干からびた魚のようだった。肌に色ツヤはなく、カサカサで、血管と骨が浮かび上がっていた。

 ねぇ、Aさん、やっぱりブラジルに帰ったほうがいいんじゃないかな。私は横になっているAさんに向けて話しかけた。Aさんは、軽く微笑んだ。「帰ってもいいかな」とAさんは答えた。さらにこう続ける。

「でもね、ブラジルも日本も嫌いだよ」。

 私はどう答えてよいのかわからず、Aさんの白髪頭を手櫛で鋤いた。

 80年代、ブラジルを襲った大不況の波が、Aさんから仕事を奪った。途方に暮れたAさんは、血の記憶を辿って日本へ渡った。工場での仕事を得ることができたが、ここでも不況と同時にクビを切られた。

 「ブラジルはお母さん。日本はお父さん」。それがAさんの口癖だ。その「お母さん」と「お父さん」から、Aさんは見放された。

 いま、全国には無数の「Aさん」がいる。二つの祖国から見放された人たちが、居場所のないつらさを味わっている。「お父さん」の日本は、安上がりで遣いまわしのきく労働力として外国人を酷使し、用済みとなったら無慈悲に捨てた。

 私にできることは一つしかない。それは記録するだけだ。彼ら、彼女らの「お父さん」が何をしたのか、何をしなかったのか。そして、捨てられた側は何を見たのか。何を話したのか。冷静にまとめるしかない。酒臭い行きで放たれた言葉のすべて。

 このほど『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)を上梓した。国や企業に見放され(ときには労働運動からも)、絶望のなかから、それでも生き続けようとする人たちの記録だ。興味のある方は、是非、手に取っていただきたい。

                          (労働情報)

 ブラジルから帰ってきてすぐ宝塚の事件がおきた。
日系ブラジル人の女子中学生が、友人と共に我が家を放火し、母親を焼死させ、父親と妹に重症を負わせた事件。

 ブラジルは日本の裏側だけど、
実は私のとてもとても近いところにもブラジルはある。
それを見るか見ないか、
関わりあうか遠ざけるか。

 3週間という限られた時間の中で、
それでも、いろんな顔を持つブラジルを見ることが出来た。

 ここにあるブラジルも、もうひとつのブラジルの顔。
私は見える、そして関わりあえる場所にいると思う。

        つばき

by bigcamellia814 | 2010-07-13 22:41 | viaje(旅)

なんでブラジルなの?

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 3週間、1人でブラジルを旅してきた。
意外にも「なんでブラジルなの?」と尋ねる人が多く答えに窮した。
「行ってみたかったから。」ただそれだけの理由じゃダメ?
しかし考えてみたら、そう思うに至るきっかけは確かにあった。

 ブラジル移民だった母親をもつ男性と付き合っていた時、
「一緒にブラジルに行こうネ♪」と言いながら実現することもなく別れたので、
「じゃぁ1人で行ったるわ!」という訳でブラジルなのでございます!

 時々彼が話す母親やブラジルで暮らす家族の話は興味深かった。
彼が初めてブラジルに訪れた時のビデオ見ながら、
「サンパウロには、日系移民が作ったちっちゃい金閣寺があるんだよ。」
「うちの親戚、電気もガスも通ってないとこに未だに住んでるからねぇー。」と解説。ド派手なカルナバールの様子には度肝を抜かれた。

 時々はシリアスな話をすることもあった。
「僕は日本人以外とは結婚出来ない。」という彼。
母親はブラジルで暮らす兄弟姉妹が日系人ではないブラジル人と結婚することを快く思わない。「何で日本人なのに日本人と結婚しないの?」と言うらしい。「バカらしいって思うかもしれないけど、僕は母親の気持ちもわかる。」と彼は言った。

 彼女はブラジルで生まれ、24歳の時初めて日本の地を踏んだ。家族全員帰国する予定で先発隊として彼女が選ばれた。しかし何十年経っても家族がブラジルから引き揚げてくることはなかった。日本到着直後に結婚を決めたという彼女にとって、それは家族もいないこの国で生き抜くための現実的な方法だったのかも知れないと考える。彼女はそれから一度もブラジルに帰っていない。

 今更もう難しいが、彼女の生きてきた人生を一度じっくり聞いてみたかったという後悔が不思議と私の中に残っている。

 そんな訳で、私をブラジルへと導いてくれたのは、どう考えてもこの2人以外にはいない。

             つばき

by bigcamellia814 | 2010-07-13 22:32 | viaje(旅)