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『嫌われ松子の一生』

a0038862_022592.jpg 仕事帰りに待ち合わせて、久々に葵と映画を見に行ってきた。話題になっている映画『嫌われ松子の一生』

 原作もかなり面白く一気に読んだのだが、映画もオモシロイ!シリアスな役どころが多い中谷美紀が、男にほだされやすい不器用な役どころを、コミカルに演じている。

 監督は中島哲也氏。彼が監督した前作・『下妻物語』(嶽本野ばら氏の原作もオモシロかった。特に前半部分に登場する兵庫県尼崎の描写がサイコー!)を見ても感じた事だが、この監督の作り出す独特の色彩感覚が私にピッタリくるのだと思う。映像を追うだけでも、十分に楽しめる作品。

a0038862_039406.jpg 出演している俳優人もなかなか豪華なのだが、中でも私の一押しは、松子をNo.1のソープ嬢に育てる、ソープ嬢のマネージャー・赤木を演じる、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦さん!ソープから足を洗い、立ち去る時の後姿に惚れます!惚れます!ヤラれます!って言うか、私、以前から「谷中さんカッコイイ!まさに理想的!」と思っていたので、今回映画を見に行った動機は谷中さんだったと言っても過言ではありません!まさに私の理想的ヒゲ坊主!

 最近お気に入りの男性として、お笑い芸人・オリエンタルラジオのあっちゃん(あのヒゲ、そして巧みに移り変わる表情の豊かさ、キレのある動きが大好き。)なんてのも、私の理想的な男性として名を連ねているのだが、もう30過ぎてますからね、谷中さん位の年齢とそこから醸し出される落ち着きの方がしっくりきますね。ちなみに2人の共通点は、計算されたヒゲの生え方です!

 なぁーんて、全くもって映画評ではなく、最近私が気になる男批評になってしまいました。
あしからず・・・・

                                つばき

by bigcamellia814 | 2006-05-31 00:57 | cine(映画)

思考による疲労感とその特効薬

 最近、身体は使わなくなったけれど、頭を使うようになりました。
確かに以前の仕事も頭を使う仕事ではあったけれど、それ以上に身体と神経を使う仕事だった。
日常的に身体を動かすから、自然にダイエットが出来てたけど、
最近太ってきたかも・・・

 またもや断食道場への思いが再燃しつつある。
「奈良」「生駒」「断食道場」とキーワードを入力し、お目当ての断食道場のHPを眺める前に、
甘い物止めてみなさいな!

 リミットがある中で、期待とプレッシャーにいかにして答えるか、そう思考する事をもっと楽しみながら出来たらいいなぁ。バラバラだった思考の欠片が、ひとつの形を生み出す時の高揚感をイメージしよう。

  「励ましてぇー・・・・」と死にかけの声で電話を出来る人。 
以外といるんだろうけれど、特効薬になる人って、思いつくところひとり。
もう少し増やしたいもんだなぁ。

                                    つばき

by bigcamellia814 | 2006-05-26 23:04 | TSUBAKIng Times

A教授とB教授 合理性と多様性

 明日の会議の事で、別の部署の方と打ち合わせをした。
その時、教えてもらったちょっと興味深い話。

 2人の大学教授が新幹線のホームに立つ。
『のぞみ』『ひかり』『こだま』、その名前に合わせて新幹線の形も様々。
それを見てA教授、
「なんで、同じ形にしてしまわんのかなぁ?その方が合理的やろ!」
それを見てB教授、
「その多様性が面白いんじゃないですか?」と遊び心の大切さを説く。
A教授の専門は経済。経済学者だ。合理性を大事にする。
B教授の専門はメディア。多様な遊び心の中にその教授の研究はある。
新幹線の形状をどう捉えるかにも、それぞれの研究者としての思考回路や価値観が反映される。

 ちなみに私の上司はA教授。頭が切れ、即決力があり、アイディアに溢れ、合理性を好む。
私に任された仕事は、障害を持つ学生の支援体制を大学の中でどう築いていくかという制度政策。勤め始めて約2ヶ月。システマティックな制度を望んでいるのではないかという印象はなんとなくあった。

 「障害者」と「合理性」。それって相反するものでしょう?とすら思う。だって、障害者と関わる醍醐味は、合理的にいかないあらゆる事を身体で感じる事なのだから。そこから得られるモノの大きさや大切さに気づく事なのだから。

 ちょっぴり不親切かも知れないけれど、障害を持つ学生も、彼らを支援する学生も、一緒に考えられ、一緒に作って行ける、そんな成長段階の制度を提供し、一緒に作っていく過程を楽しみながら、成長していく学生の姿を間近で見れたらなぁと思っている。

 A教授とのやり取りが楽しみだ。

                                   つばき
 
 
 

by bigcamellia814 | 2006-05-24 23:42 | TSUBAKIng Times

『香田証生さんはなぜ殺されたのか』

 最近、旅に関する本を何冊か立て続けに読んだ。フィリピン、マレーシア、ブルネイ、シンガポール、タイそしてカンボジア。バックパックを背負い、さほど身なりも気にせず、日に焼けた肌と無造作な髪がこの土地には良く馴染むとガラス窓に写った旅人の自分にちょっと満足していたあの頃。東南アジアの暑さにトロトロととろけていく様に弛緩していく感覚。それと同居する緊張感と依存出来るモノがない事への覚悟。そんな感覚が久々に呼び起こされた読書の時間だった。

 その中の1冊。旅行作家として有名な下川裕治さんの著書『香田証生さんはなぜ殺されたのか』を読んだ。2004年10月に、「イラク聖戦アルカイダ機構」の人質となり殺害された香田証生さん。彼が生まれ育った福岡の町、そしてワーキングホリデーで滞在していたニュージーランドからイラクに至るまでの足跡を、著者が実際に訪れ、旅をし、取材を通して感じた事が書かれていた。香田さんが亡くなった以上、彼の身に何が起こったのか、彼が何を思いイラクを目指したのか、もう知る術はないのだから、どんな事も著者の推測に過ぎない。しかし、バックパッカーの元祖とも呼ばれる著者が、旅人としての香田さんを見つめていく過程には、いくつか共感するものがあった。

 イラクで人質になった、もしくは殺害された人は彼以外にもいる。外務省の職員、ジャーナリスト。殺害にまでは至らずにすんだが、人質となり、無事解放され日本に帰国出来たものの、「自己責任」という言葉を生み、すさまじいバッシングの対象となったボランティアの高遠菜穂子さん達の事は記憶に残っている事だろう。香田さんが、それらの人達と決定的に違ったのは、バックパッカーだった事。政府関係者でも、ジャーナリストでも、ボランティアでもなく、彼は一人の旅人だった。彼の無謀さに「無知」だ、「バカ」だという言葉が浴びせられた。

 ウェブ上に流れた人質となった香田さんの姿。殺されるという瀬戸際に居ながら、「助けて!」と叫ぶ事も出来ず、「すみませんでした。また、日本に戻りたいです。」と控えめに、力なく発する言葉に恐怖を感じた。死の瀬戸際に居ながら、この控えめさは何だろう?そして、多くの報道陣に囲まれた彼の家族も、実に控えめだった。決して「自衛隊を撤退させて!我が子を助けて!」と叫ぶ事はなかった。そうさせていたものに私は恐怖を感じる。「自己責任」と言う言葉と共にすさまじいバッシングを受けたあの3人の出来事が、香田さんの家族の叫びを押さえ込んでいた事は間違いないと思う。
 「すみませんでした。また、日本に戻りたいです。」そう言った香田さんの映像を、私はなぜか今でも忘れられないでいる。あの当時、あの映像を見る度に、不思議な程涙が出た。彼が無謀なのは百も承知。でも、感情移入してしまう何かを私は感じていたのだと思う。

 1年とちょっと住んだフィリピンを離れる時、私はミンダナオ島のザンボアンガから船に乗り、マレーシアのサンダカンを目指して出国した。ザンボアンガはイスラムのテロ組織「アブサヤフ」の拠点となっている地域で、その当時アブサヤフによるものと思われるいくつかのテロも起こっていた事から、フィリピンの中でも最も危ないとされていた。そしてマレーシアに向かうスル海域で外国人が誘拐されたという事件もあった事から警戒されている地域でもあった。そういう事実を知っていながらも、私はそのルートでフィリピンを出国したと思った。(もちろん実際に行った人の話を聞く、下調べをする等最低限の準備はしたが。)危険だと言われている場所がいったいどんな場所なのか見てみたいという好奇心もあった。単純に船という時間のかかる移動手段を使って旅をするのが好きだというのも理由のひとつ。日本人があまりやらない方法で旅をする事に価値を感じていたのも事実だろう。「やってみたかった。」「見てみたかった。」そうとしか言えない部分がある。何かをする時、いつもいつももっともらしい理由を用意しながら旅をする訳ではない。
 
 香田さんの行動について私は良し悪しを語る事が出来ない。なんて言えばいいのか、うまく言えない。ただ「助けて!」と叫ぶ事さえ許されなかった彼を思うととてつもなく悲しくなるという事と、ほんの少し「分かる。」そう感じる自分がいるという事だけはなんとかつきとめている。私も彼の様なバックパッカーで、少なからず「危険」「無謀」と言われる旅をした体験がそう感じさせるのだろう。幸い、私は危険な目に合う事はなかった。けれど、私が香田さんの様にならなかったと言えるだろうか?

 自分に子どもが出来たら「旅をしなさい!」と薦めるだろう。自分でお金を貯めて、1~2年世界の色んな場所を見てきたら?と。その時、私は香田さんの話を子どもに伝える様に思う。旅先で何かあった時、この国が本当に助けてくれるとは限らない事。だからこそ、旅に出たら全て自分で責任を取る覚悟を持ちなさい。危険な魅力を前にした時、飛び込む好奇心と止まる勇気、その両方の大切さ。でもね、もしもあなたの命が危険にさらされる様な事になったら、「助けて!」と堂々と叫びなさい!死の瀬戸際にいて、「助けて!」という言葉を押し殺さなくてはならなかった彼の様にならないで!と。

 これから先、私の旅も続くだろう。
生まれてもいない子どもの前に、まずは私。
どんな旅をするか。
どう旅をするのか。


                                   つばき

 

by bigcamellia814 | 2006-05-23 23:24 | libro(本)

フィリピンのバクラが教えてくれたコト

 こんなニュースを発見。→性同一性障害:小2「女児」として通学 兵庫 

 私がしばらく住んだ事があるフィリピンでは、”バクラ”と呼ばれる人達がいた。ゲイの事をフィリピンではそう呼ぶのだが、私の印象としては、ゲイと言うよりも、男性から女性になりたい性同一性障害者としてのイメージが強かった。と言うのも、人目でそうだと分かる彼らの分かり易い行動様式がそういう印象を与えるのだ。フィリピン人の若い男の子達は、アメリカのHIPHOPの影響を受けてか、ダボッとしたTシャツにダボッとしたパンツ、そして足元はスニーカーといういでたちの子が多いのだが、バクラは違う。身体のラインにフィットとするちびTに、パンツは細身のベルボトム、肩からショルダーバックを提げ足元はサンダル、そして女の子達と仲良さそうにモールでのウィンドウショッピングを楽しんでいたりする。性転換手術を受けている様な人は少ない。喋りも、しなを作る様な歩きもしぐさも、まさに『おネエ』。しかも、すごく大げさ。ちょっぴりネバっこい英語。美容室に多い。

 彼らがそれだけ分かり易い存在でいられるのは、裏を返せば、彼らがゲイである事を、または性同一性障害である事を『隠す必要がない』というフィリピンの大らかな文化に支えられているからだ。少なからず差別や偏見の目にさらされる事はあるだろうが、彼らの存在が自然に受け入れられている様子を当たり前に見る事が出来た事は、フィリピン滞在中の大きな収穫のひとつだった。そしてフィリピンを好きな理由のひとつにもなった。

 小学生や中学生でも、自分がバクラであると自覚もしくは公言している子もいる。そして既に行動様式がバクラそのものなのだ!
 ある中学生の女の子が私に、「この子ね、ある男性に一目惚れしちゃったんだよぉー!」とやや冷やかし気味に横にいるバクラの男の子の恋路をばらしてくれた。照れるバクラ君。「でもね、結婚してんだよねぇー!」とその女の子が言うが早いかバクラ君、「何言ってんのよぉー!私が彼の恋人よぉー!」だって!言ったはいいがバクラ君、口に両手を当てて恥ずかしそうに笑い出す。思わず私も、その女の子も大笑い!いいじゃない!存分に、堂々と恋をしなさい!

 フィリピンの東大と呼ばれるUPことUniversity of The Philippinesに交換留学生で来ていた友人は、彼女と入れ替わりに彼女の大学に留学したUPの学生がバクラだったと教えてくれた。しかも、彼は完全に女性の格好をして大学に通い、ボーイフレンドまで作っていたそう。「はぁー、UPたいしたもんだ!」と私が感心していると、「受け入れたウチの大学もスゴイ!」と友人。確かにそうとも言える。私達のこの発言は、『日本の大学が、優秀とは言え、性同一性障害を公にし、自分の望むセクシュアリティで生きている学生を、大学の代表でもある交換留学生として派遣するだけの度量があるだろうか?』という点について不安を持っているという所から発せられている。

 「バクラの子達は優秀な子が多い。」と言っている友人がいた。確かに、私が通っていた大学でも、バクラの学生が積極的に大学の活動に参加し、いいリーダーシップを取っている場面を良く見かけた。
 しかしもしコレが、自分の存在そのものに肯定感を持てない環境ならどうなるだろう?自分のセクシュアリティを隠さなければいけない社会ならどうだろう?フィリピンのバクラの様に、過剰なまでの自己アピールや積極的なリーダーシップとは無縁だったはずだ。

 ニュースに取り上げられていた性同一性障害の小学2年生。身体の成長に伴って、様々な問題が出てくるだろうと想像する。フィリピンのバクラの様に、ありのままの彼らの存在を受け入れる様な環境や仲間が、その子のそばにも育って行く事を強く望んでいる。

                                つばき
 

by bigcamellia814 | 2006-05-18 11:59 | TSUBAKIng Times

秘宝発掘!

 最近、職場でお気に入りの女性を見つけた。
早朝、通勤に使うバスの窓から、パステルカラーのスプリングコートを羽織り、歩いて通勤している彼女の横顔を見かけるとおのずと心が穏やかになるのだ。

 『清く、正しく、美しく』という言葉、今ではカタラヅカぐらいでしか使われなくなった死語だろうと、タカラヅカの入学式のニュースを見ながら突っ込んでいた私だが、こんな身近に『清く、正しく、美しく』を全身から発している女性が居るとは、驚きと言うか感動に近い衝撃を受けた。

 彼女に初めて会った時、思わず「今時、こんな女性が存在するんだ・・・」と心の中でつぶやいた。

 洗練された育ちが随所に感じられる。それが実に自然で嫌味がない。私の嗅覚は、初めて嗅ぐ馴染みのない香りに敏感に反応した。化粧っけのない彼女の肌は、透明感にあふれ白い。華奢な身体。薄手の白いプリーツスカートをはいた彼女がソファーに座った時の、ちょっぴり透けて見えるきちんと揃えられた小さな膝小僧に私は思わずドキリとした。小さな肩幅、細くて小柄な身体。「あぁ、こんな女性を抱きしめたら愛おしさも増すだろう。」仕事の話をしながら、そんな想像をしている私は不謹慎だろうか。彼女もまさか女の私に、その様な想像をされているとは露ほども思っていないだろう。

 彼女が私を惹きつけるのはその話の聞き方だ。学生の相談に応じるという仕事柄もあるだろうが、実に話の聞き方が上手い。彼女の落ち着いた言葉の運び方が、話し手の緊張感を弛緩させていく。「コレで大概の男はヤラれるなぁー!」と心の中でなぜかガッツポーズを決めた私は、
なんて下世話なんだろう。しかし私の予想はあながち外れていない。・・・と言う強い確信がある。話のオモシロイ女より、話を上手く聞ける女の方が最終的には男に選ばれるというのが世の常だ。もしも彼女が銀座の高級なクラブに勤めたら、同伴なしでも常時指名が絶えず、指名する客もマナーが良く洗練された遊び方を知っている、もちろんお金持ちのおじ様方で、彼女は店でナンバー1になれる実力がありながら、控えめに3位か4位くらいのポジションを維持しているのではないだろうか・・・と私はそんな想像を楽しんでいる。

 実際の所、彼女がどういう人なのか私はほとんど知らない。 しかし、その存在ひとつで、私にコレほどの想像を楽しませてくれる訳だから大した存在感だ。昭和の男子が思い描いていた女に対する幻想を体現した様な彼女。本当にそういう存在であって欲しいと言うかすかな願望と、そうはさせない心地よい裏切りを期待している2人の私がいる。

                                    つばき

by bigcamellia814 | 2006-05-13 12:01 | TSUBAKIng Times

『女は自由である』

 実家に帰ってもこれと言って遊びに行く様な場所もないので、家の中でのんびりと本を読んで過ごす事が多い。持ち帰った本も全て読み終え退屈していた私は、「何か読む本はないかなぁ?」と別棟にある子ども部屋だった部屋に入り物色した。懐かしい物がしまわれているこの部屋を帰省の度に訪れる。机の中を覗いていると、1冊の文庫サイズの古めかしい日記帳を見つけた。表紙には1965年と書かれている。

 中を開くと母の文字。走り書きだが、ほぼ毎日書いている。1965年、今から41年前の日記。結婚する以前の、20代半ばの母が書き記していた日記だった。3人の子ども達がそれぞれに独立した今、その部屋を使う者はいない。その安心感からだろうか、日記はわりと無造作に机の中にしまわれていた。確かに無造作ではあるけれど、母なりに誰の目にもとまらない場所に隠しているつもりなのだ。見つけてはいけない物を見つけてしまった。妙な緊張感が体中を駆け巡る。コレは母の秘密なのだ。私が見てはいけない物だという思いと、同時にそれとは正反対に、コレは読んでおかなくてはいけないという思いが交差した。秘密の前で人は弱い。私は周囲の音に耳を立て、小さく視線を動かして窓や障子の隙間から誰も覗いていないか確認した。その時点で心はもう決まっている。私は母の日記を始めから読み始めた。


 若い頃、母は大阪で働いていた。その仕事を辞め、実家に帰って来たばかりの頃の日記だった。姉夫婦とその子ども、そして父母との田舎での生活が再び始まった。

 母が大阪を離れた理由は、一緒に暮らしていた姉が彼女の貯金を勝手に使った事がきっかけだろう。昔そんな事を話してくれた。日記の中でその事に直接触れてはいなかったが、「思い出すのも嫌だ」そんな一文が全てを物語っていた。

 田舎での生活が始まり職安に通う日々、それと同時に、花嫁修業だろうか編み物とお花を習いに行く母。田舎でののんびりとした生活に最初はくつろぎながらも、次第にこんな場所でこんな事をしていていいのかと退屈と焦りに苛まれる。

 大阪にいる好きな人。「憎い」と書き記るす程に恋焦がれていた人との別れの現実を受け入れられず、思いを断ち切れない母の葛藤。私はココで初めて恋する母の姿を確認した。誰にでもそういう時代があるのだ。母にもそんな時代が確かにあった。初めて感じた同士の様なこの気持ち。

 先行きの見えなさと、恋人との別れ、結婚への焦りを一時でも紛らわそうとしているのか、母は次々と編み物を完成させていく。そして、夜更けにペンを握り、友人に、好きな人に、毎日の様に手紙をしたためていた。母はよく、手紙を書く事が好きな私に「毎日よく手紙を書くねぇー。通信費がバカにならんわー。」と言っていたが、mailという手段がなかった時代とは言え、彼女もかなり筆まめな人だった事をはじめて知った。

 母を好きになった人から小豆島への一泊旅行に誘われるが、「彼を信じていない訳ではない。しかし世間が許さないだろう。」という言葉には思わず時代を感じた。そんな時代を送った母が、恋人かどうか曖昧な男性と1ヶ月ものメキシコ旅行に行くと私が言った時、特に何も言わずに送り出してくれた事に今更ながら感謝した。

 結婚への焦りゆえかいくつかのお見合いをする母。お見合い予定の相手に、興信所を使って身元を調べられ先方から断られた事で、彼女は自尊心をボロボロにされた。幸せな結婚を夢見ながらも、まだまだ学び身につける事があるのではないかと自分自身に問いかける。「あぁ、いっその事家を出て、独り立ちしようか。速記士にでもなればどうにかやっていけるだろう。(母は高校時代、速記部だった。今じゃ、国会ですら速記士の活躍の場がなくなったけど、この時代には女が自立出来る職業のひとつだったのか?)」と結婚を諦め自立を考える母。

 ビールを飲まない母が、夜更けにひとりビールを飲む。「あぁ、まずい」

 その年の終わり、彼女は冴えなかったその1年を締めくくるために長い日記を書いている。先行きの見えない1年だった。年の瀬に彼女が読み始めた1冊の本。ある先生から貰った本の様だ。タイトルを見て、母をカッコイイと思った。やっぱり母はカッコイイと思った。

 その本の名前。『女は自由である』

 母の人生は、女である彼女の人生は自由だっただろうか?
 60を超えた母の人生は自由に近づいているだろうか?

                                    つばき

by bigcamellia814 | 2006-05-08 10:04 | TSUBAKIng Times

父親との距離

 木々が芽吹くこの時期は、日差しを受け透明感を伴って輝く緑の山々が美しい。里帰りをしたいと衝動に駆られるのは必ずこの季節だ。子どもの頃、同居していた叔母と共に、ぜんまいやら蕨やら蕗といった山菜を取りに出かけていた光景と共に、その衝動が湧きおこってくる。今年のGWはカレンダー通りに休暇が取れたので、数ヶ月ぶりに帰省した。

 帰省したと言えど、昨年新築したばかりの家にはまだ馴染みがない。庭先から目前に広がる青々と輝く山々の連なりを眺めながら、「確かに絶景!しかし、こんな所で生まれ育ったのかっ!」とその田舎ぶりに驚きに近い感情を抱きながら、徐々に昔の感覚を取り戻していく。

 ちょっとした都会に住んでいる今の私にとって、ふるさとの風景やそこに居る人達の会話は安らぎを与えてくれる。

 しかし同時に、安らぎと同じくらいの怒りや憤りを感じる瞬間が訪れる頻度が高くなるのも、帰省した時の私によく起こる症状だ。家族に対して。とりわけ父親に。家族って、なぜにこうも感情がストレートに出てしまうのかと、いくつになっても大人になれない自分に嫌悪を抱きつつも、私が父の言動に嫌悪するのも当然だと、そこだけは揺ぎ無い。

 早朝、私が洗濯をしていると後方から「おーい!」「おーい!」と父の声。誰を呼んでいるのか分からないのでしばらく放っておくと、「おーい!」「おーい!」という呼び声の語気が強まり、怒鳴り声に変わった。まぁ、いつもの事だ。仕方なく、非常に不愉快そうな顔で「何ぃ?」と庭先から私に声をかける父に言うと、案の定「カバンはどこだ!カバンを探せ!」との事。既に靴を履いている彼は、その靴を脱いで玄関を上がり、自分のカバンを探すのが面倒臭いので、家の中に居る私に探させ様とする。私は辺りを見回す。見当たらない。父がいつも新聞を読んだり、テレビを見る隣の部屋に行く。彼が座る定位置、その後ろにある机の上にカバンを発見。戸を開ければ庭先に居る父でも手の届く範囲にそのカバンはあった。「ほらっ!ココにあるじゃん!」とぶっきらぼうに差し出すと、ちょっとだけバツの悪そうな顔をし、「ありがとう」も言わずに受け取った。受け取った瞬間、「キーーーーーーーイ!自分で探せぇー!」と叫んでやった。大声で!実に感情的に!70を超えて耄碌している訳ではない。最初から自分で探す気がないのだ。それは今に始まった事ではない。私が生まれた時から、いや、それ以前から。

 いつもの事だ、いつもの事。ココはそういう場所だよ。しばらく離れて忘れたか?自分の爆発的な怒りを戒める。怒りを沈めるために洗濯機の前に再び立つ私。その脳裏に浮かんだもの、数年前に死んだ祖母の顔。「自分はとっとと先に死んじゃって!あの息子、どういう躾方したんだよ!放ったまんま死ぬんじゃないよ!残りの面倒見るのは私達かよ!」と、仏壇の前に行って、金でもチンチンチンチン叩きながら、「いい加減にしてぇー!」と叫んでやりたい心境だった。さすがにそれはやっていない。今更死人を責めたところでどうなる事でもない。

 祖母の口癖は「誰のおかげで食べていけとると思っとるんじゃ!」だった。父は目の前にある物でも、その物の側に最も自分が近くても自分で取ろうとはせず、母をはじめする全ての女(父以外は全て女だった)に指図する人だった。私は小さい頃から、「自分で取れば!」「自分でやれば!」と反論する子どもだったから、父ではなく祖母に「誰のおかげで食べていけとると思っとるんじゃ!」と怒鳴られていた。そこで「お母さん!だって、お父さんよりお母さんの方がよく働いている!」と明らかな事実を述べると叩かれた。「お母さんなんておってもあんたらは食べていけれんのじゃ!お父さんがおるから食べていけるんじゃ!」と怒鳴れて、身の危険を感じて反論を止める。あれだけ働いても、母親は全く評価されないのか!なんて、割りに合わないんだ!事実、母は父以上に働いていた。田舎の女性に主婦などと言う言葉はない。自営業だった我が家で、母は全ての仕事をこなし、家事をこなさなければいけなかった。仕事を終え、汚れた服を脱いだ形のまま放り投げ、後はテレビの前に座って食事が出来るのも、風呂が沸くのも待っていればいい父とは違った。祖母の父への溺愛ぶり、自分の息子なのに傅く様なその言動。自分の息子を叱れもしない。「気持ち悪くないか?」ずいぶん小さい頃から、その奇妙な関係性とそれを強要される事に私は反吐が出そうだった。

 「70年間これでやってきたのに、今更変えられるか!」とある時父は居直った。母はその居直りを笑い飛ばせるだけの余裕があった。「それでも昔に比べれば色々してくれる様になったよ。」とフォローを入れた。あなたが一番苦労したのにね。70年間身辺自立も出来ずそれでも生きてこられた背景に、多くの女達の犠牲と、それがまかり通る時代と田舎という環境に守られていた事に父は気づく日があるだろうか?

 田舎暮らしに憧れる都会暮らしの人々の会話に鼻白んだ様な気持ちになるのは、自分にこういう体験があるからだと思う。そういう人達は、移住するのだから、田舎のコミュニティとの交わりはあるかもしれないが、暮らしそのものを一緒にする訳ではないので話が違うかもしれない。しかしそうであっても、田舎では当たり前に存在する性差別的な慣習や思考に大なり小なり戸惑うだろう。封建的な社会や家庭はいろんな所にあるだろうが、田舎のそれは実に顕著だ。

 「実家に帰りたい!」という衝動に駆られながらも、必ず数日でそこに居る事に限界が訪れるのは、ココに起因している。フェミニズムと出会い、小さい頃から抱いてきた気持ち悪さに言葉が与えられ私は確かに楽になったけれど、我慢も効かなくなった。

 妥協もしたくないが、もう少し、父とのいい距離感や関わり方を見つけ出したいものだ。

                          
                                  つばき

by bigcamellia814 | 2006-05-07 18:25 | TSUBAKIng Times