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ショットガンと女 藤原新也

 尾道までの道中、図書館で借りた藤原新也氏の旅エッセイ『ショットガンと女』を読みながらやってきた。彼の著書を読むのは初めてだ。あとがきの中で彼自身が語っている様に、「短い文章の中で描かれる、旅の事実に即した、きわめて単純で即物的なエピソード」を書こうと心がけた彼のエッセイは、一瞬を切り取った写真の様な感覚を与えるエッセイだった。
 
 「みんなの家(ゲネレブ)の恐怖」と言うエッセイの中で、「とりわけ男の長い旅には女がつきものでなのであるが、なぜ日本人の書く旅行記にはまるでそれが聖者の旅行のようにあまり女が登場しない。」と指摘している。「女と絡むことが作品の質を貶めるとでも思っているのか、そのあたりの事実を避けて通るのが相場のようである。」と。
 
 長旅に色恋沙汰がつきものなのは何も男に限った事ではなく、女の長旅でもそれは同じだと思っている。ただ男がその事実を書く事より、女がその事実を書く事の方が、社会の評価は厳しいと思う。10年以上も昔、「リゾラバ」だの「イエローキャブ」等と言う言葉で、外国人の男と付き合う女をひとくくりにし、「尻軽」だの「大和なでしこはどこに行った?」等と強烈に批判されていた時代があった訳で、そういう捉え方というのは、今も大して変わっていないんじゃないかと思っている。

 私が藤原新也氏のこの一文に共感を覚えたのは、以前から女友達だけに話していた旅先で出会った、大なり小なり下心を持って私に近づき、少しの時間を共有し通り過ぎて行った、様々な国籍の、様々な人種の男性達の事を、記憶が遠ざかる前に文章に残しておきたいとかねてから思っていたからだ。

 NYのメトロポリタンミュージアムで70歳のスイス人の画商に出会い、その後、カフェでアップルパイとティラミスをつつきながら、「今夜、○○ドルでどうだ?」と序々に話が真剣味を帯びてきた体験等は忘れられない。「買われそうになる」と言う初めての体験を前に、私は不快感よりも、70を超えても怯むどころか男としての自分に自信を持ち、孫娘の様な私を真剣に口説こうとする彼の行動に密かに感動した。いつまでも「男」を感じさせて居たいのだと。私にしてみれば、どこからどう見たってただの「おじいちゃん」に他ならない。彼と過ごす時間が、「揺り椅子に座り紅茶を飲みながら昔話を聞くなら」想像出来るが、「Sexをする」というイメージを抱くまでに自分を高めるのにはかなり困難が伴った。彼もこの年齢差が簡単に恋に堕ちるというシチュエーションを生み出すのはやはり難しいと判断したのか、お金を提示してまでモノにしたいと真剣になっているその姿はかなり滑稽だった。もちろん彼の交渉を私は最後まで断り続けたが、70になっても性的に魅力ある男としての自分を誇示したがる姿に、その世代の日本人男性との違いを考えたものだ。

 もちろん男性との出会いだけが異文化を感じるきっかけでは決してはないが、それを通して学んだ事が多いのも事実だ。それはそれで、自分の為に書きとめておきたいと思っている。気が向けば、気心の知れた女友達に読んでもらう事くらいは良いだろう。私の体験は、彼女達を愉快な気持ちにさせる程度には魅力的な体験だと思っている。

                             つばき

 

by bigcamellia814 | 2006-03-29 19:15 | libro(本)

尾道へ

桜が咲き始めるこの時期、行きたくなる場所がある。
四国に住んでいた頃も、青春18切符を使って、日帰りで桜を見に行った。
広島県・尾道
桜が咲くこの時期、山の上の千光寺から尾道水道を望む風景は、何度見ても心が安らぐ。
何度も訪れてしまう街がある。尾道は私にとってそんな場所。
今日これから、例のごとく青春18切符で尾道に向かう。
大阪に住んでいた友人が昨年春から尾道に移り住んだ。
道中読む雑誌も本も、お菓子もカバンの中に入れた。
お土産は、この辺りの春の風物詩・いかなごのくぎ煮。
あいにく広島も雨が降りそうだが、友達がインストラクターをやっているヨガのクラスに参加したり、久しぶりにゆっくり話したり、のんびりとしてこようと思っている。

 これからの全てがうまく行きます様に。
新しい生活を前に、小さな旅を楽しんできます。

                             つばき

by bigcamellia814 | 2006-03-28 07:43 | viaje(旅)

この街が自分の街になる時

 覚書その2.

 もうすぐ神戸に引っ越してきて丸2年を迎える。殺風景だったこの部屋も、2年も経てば物が増え、すっかり生活感がただよい、ただよいすぎてどうにか出来ないものかと思い悩む日々だ。転職を機に引越しを!とも考えたのだが、この街の暮らしやすさに決断がつかず二の足を踏む。神戸は港町だけあって坂が多い。車椅子に乗った葵と共同生活をする限り、「坂がない」と言うのは物件を選ぶ際の第一条件になる。ついでに私も必要に迫られない限り坂は上りたくないたちなので、壊滅的な状況に見舞われた震災以後、区画整理され、街が平らなこの周辺は、車椅子に乗っている葵にとっても暮らしやすい。物価も比較的安いし、図書館、区役所、郵便局駅が近いのも嬉しい。街の状況を全く知らないで、かなり勢いで決めてしまった物件にも関わらず、周辺の条件が整っていたのは幸いだった。

 かつて姉が三宮に住んでいた事もあり、引っ越してくる前にも度々神戸に遊びに来た事はあったが、主要な場所しか知らず、この街の事はほとんど知らないに等しかった。そんな私が、今では、遊びに来た友達を色んな所に案内出来る様になったのも、勤め先でヘルパー活動をさせてもらったおかげ。在宅障害者の支援を行っている為、様々な場所に住んでいらっしゃる利用者さんのお宅に訪問し介助を行う。又、利用者さんと色んな場所に出かける事も多いので、この街の仕組みやおもしろさを働きながら教えてもらった様に思う。
 同僚から自転車を頂戴して以来、私の通勤・移動手段は自転車だった。自転車に乗って20分程度の場所なら、公共交通機関は使わず、自転車で移動した。(そのおかげで確実にヤセた。)自転車の利点は、毎回同じ道を通らずとも、色んな道から目的地に辿り着く事も可能だという点。仕事帰りのより道は、新しい街の様子を発見する楽しい時間だった。地域に根ざした活動だからこそ、自分が住んでいるこの町がどんな街で、どんな人達がどんな生活をしているのか知る事が出来た。自分が生活し、生きている場所を知っていく。その過程で、この街はだんだんと『私の街』になってきた。

 私は、自転車に乗って、利用者さんのお宅に疾走!(まさに疾走!って感じの走りっぷり!)する時間が、今思えば案外好きだった。とりわけ冬場の早朝の仕事はつらい。ピーンと凍りついた空気の中、「あぁー、遅れる!遅れる!5分前には着いとかなきゃ!」と無我夢中で自転車をこいでる自分はちょっと滑稽な気もするが、一生懸命で悪くない。1人の利用者さんがトイレに行く為に、朝食を食べる為に、お風呂に入る為に、私はそれをちょこっとお手伝いする為にそこに向かう。そのちょこっとのお手伝いが、彼らの生きる時間を支える。
 「慌しい生活は嫌だ。」と思うけれど、それは綺麗ごとで、生活ってどこかで追い立てられている。その生活臭ささから逃れられない自分が案外好きだったりする。

 昨日付けで退職したが、今日から今月末までは登録ヘルパーとして活動する。さぁ、これからまた自転車に乗って疾走してくるか!鼻歌は何にしよう?

                               つばき

by bigcamellia814 | 2006-03-26 17:09 | TSUBAKIng Times

分け合って食べるおいしさ

 今日を持って、約1年半勤めたNPOを正式に退職した。
仕事帰りに髪を切りに行った。4月1日から出勤する新しい職場に備えて。
ご褒美に古本屋で本を1冊買った。『むかし女がいた』大庭みな子著。装丁が美しかったから。

 4月1日からの新しい生活の前に、しておかなくてはいけない事を考えた。
色々ありすぎて、たぶん全部こなせないだろう。
けれども、これだけはやっておこう。
新しい職場に出向く前に、今までの職場で学んだ事を、頂いたいくつもの事を、整理するためにブログに覚書として残しておこう。

 そのひとつ・・・

 私の職場には、日本在住歴12年になるS君というベトナム人がいる。
彼は「パソコンに詳しい」と言う理由で、我がNPOが発行している通信の作成・発送作業の担当になっている。12年住んでるとは言え、まだまだ日本語の不思議に思い悩む事もあるだろう彼に、言葉を扱う『通信』を任せるなんて!と私はよく思っていたものだ。時々上司からスパルタな指導を受けている彼を見て、「日本語でガーガー言われて腹立たんのかいな?広東語やベトナム語で捲くし立てて、バーカ!喋れるもんなら喋ってみろ!とか言ってやりたいとか思わんのかいな?」とこっちが腹が立つ程、彼は打たれ強かった。
 
 しかし、彼の職場での本業は「通信」担当以外にもうひとつあった。
それは、「まかない係」。私はS君の事を密かにそう呼び、「ねぇねぇ、今日のまかない何作ってくれるの?」は私の口癖だった。
 彼は、自宅で作ってきた料理を鍋ごと持って来ては、昼食の時、皆に振舞っていた。例えばおでんとか。
 職場に置いてある様々な方々から頂いた食材を利用して、色んな料理を作ってくれた。自分の分だけでなく、必ず皆の分を用意してくれた。
 日本人より日本人らしい所がある彼は、一時ぬか漬けにはまり、今日は人参だ、きゅうりだ、なすびだと毎日の様に持って来て食堂のテーブルに並べてくれた。
 日本の慣習にも忠実で、1月7日には七草粥を作り、今は春の風物詩いかなごのくぎ煮作りにはまっている。
 もちろん、ベトナム料理が登場する事もしばしば。干しえびでだしを取った冬瓜のスープは絶品だった。 

 私は面倒臭いので、自分が食べるだけの物しか作らないが、彼は皆の分を作る。自宅で作ってきた料理も、皆と食べる事を想定した量だったりする。「塩っ辛い!」だの、「ゆですぎ!」だの「水が多すぎてベチャベチャ!」だの食べるだけの私達に文句を言われても、ここでも日頃からの打たれ強さが発揮され、諦めずに又何かを作ってきてくれる。
 皆と分かち合って食べるという事が、日常の中に根付いている人。

 彼は、歓迎会、交流会、送迎会、あらゆるそーゆう場面の仕切り役だ。たぶん、人をもてなすという事が好きな人なのだろう。

 分け合って食べる事のおいしさを教えてくれた人。そのルーツはベトナムと言う国の国民性に由来している物かもしれないし、家庭環境がそうさせたのかも知れないけれど、それは私が彼から教えてもらった大切な事。
 
 彼が作った冬瓜のスープに、手製のたれをつけて食べる生春巻き。あぁ、もう一度食べたいな。

                                 つばき


 

by bigcamellia814 | 2006-03-25 23:02 | TSUBAKIng Times

嫌になったら帰ってきてね!

 今日、神戸に引っ越してきてから約1年半勤めた在宅の高齢者・障害者を支援するNPOを退職した。と言っても明日まで在籍している事になっているので、明日も通常通り業務を行う事になるのだが、現場での活動なので、職員として事務所に行くのは今日が最後になった。4月からは、関西の某私立大学にて、障害を持つ学生の支援を行うコーディネーターとして勤務する事になり、退職を決めた。

 障害者自立支援法(介護保険と同様に、サービスを受けた利用者側に1割負担が課せられる様になった。)が成立して以来、現場は先行きが見えず、不安を抱えながら日々の活動に追われる毎日を送っている。私が退職を申し出る以前に他の退職者が相次いだ事もあるが、スタッフが1人でも欠ける事は大きな痛手であった事は間違いない。私も厳しい現状を分かっているからこそ、「自分がやりたいと思った事を選んで当然だ!」とはスンナリ割り切れなかった。前職の上司から今回のお話を頂くまでは、「現状は厳しいけど、ココに居る人達と頑張っていこう!」と真直ぐに思っていたし、いくつかのケースを任されコーディネーターとしての仕事を学び始めたばかりだったからこそ、「もう少し、ココに居て学ぶ事があるのではないか?ココで辞めたら不十分だろう?」との思いもあったが、最終的には「やりたい!」と思った自分の直感に従う事を決めた。そして厳しい状況の中で働いている同僚達も、最終的には私の決断を応援してくれた。

 神戸に引っ越してきて半年後に、この職場に就職する事が決まった。私が勤めていたNPOは、11年前の阪神淡路大震災の時、被災した障害者を支援する事を目的に立ち上げられたボランティア団体で、2000年にNPOの法人格を取り、ヘルパー派遣を主たる事業とする現在の様な形になった。震災ボランティアとして神戸に入り、立ち上げ当初から現在に至るまで、この団体で働いてきた大学時代の先輩の紹介で働かせて頂く事になった。

 面接前に色々と話を伺った時、私は正直にこう言った。「私は障害を持つルームメイトと暮らしています。私は彼女との生活をまず一番に考え、大切にしたいと思っています。仕事はします。けれど、過剰な残業は出来ません。」と。その時、話を聞いてくれた50代の女性が、「私達は人の生活を支援する仕事をしていながら、仕事に追われ、生活者としての感覚を失ってしまっている事があります。あなたが、まず自分達の生活を大事に考えたいと言う気持ちはとても大切な事だと思います。」その言葉を聞いて、私はココで働いてみよう!と言う気持ちになった。

 面接の時、ちゃんと就職した経験が一度もなかった私の履歴書を見、「色んな事やっていて面白いねぇ。」と言われて採用が決まった。面接官だった代表や専務理事は心底そう思っている様で、まず彼らこそが敷かれたレールとは無縁な生き方をしてきた人達だった事を後になって知る。

 職場は、個性的で、オカシな人達の集まりだった。時々は衝突もあるし、「それって、ココの職場以外じゃ絶対に通用しないよねぇ・・・」って事も度々あったけれど、それでもそんな人達が共存している様子はなんだか面白かった。
 私が私のままで居られた場所だった事は間違いない。

 先日、専務理事に誘われ食事をした時、「早く見切りつけて、帰って来いよ!」と言われた。4年迄更新可能な期限付きの仕事だからこそ途中で辞めるつもりは全くないが、その言葉は嬉しかった。少なからず、私に期待をかけてくれていたのだと信じてもいいだろう。

 今日の夕方、事務所に残っていた人達でささやかなお別れの会をしてくれた。段取りを組むのはきまってコノ人、日本在住歴12年のベトナム人のS君。私の好きなゆりの花束と寄せ書きを手渡してくれ、美味しいケーキまで用意してくれていた。寄せ書きに書かれたメッセージのひとつひとつ。『一緒にもっと仕事したかったです。』『もっといろいろな場面を共有したかったなぁと思います。』そんな言葉が心に響く。「私もだよ・・・」心の中でそう呟いた。

 1年半、私が使っていた机を片付け雑巾で拭いた。書類でごちゃごちゃしていた机から一切の物が消えた時、自分がココを立ち去るのだなと言う事をジンワリと感じた。

 「お世話になりました。」と頭を下げて、事務所の玄関を出ようとした時、「ココで働いてみよう!」そう思うに至るきっかけを与えてくれたあの女性が、仕事をしながら私の方を見て笑顔でこう言った。

 「嫌になったら帰ってきてね!」
 
 私に帰れる場所を与えてくれてありがとう。
 だからこそ、ちょっと頑張ってみます。

                               つばき
 

by bigcamellia814 | 2006-03-24 21:08 | TSUBAKIng Times

急に嗅ぎたくなってしまったのだ!

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職場で、歩きながらふっと思い出したアノ匂い。
あぁ、嗅ぎたい!嗅ぎたい!嗅ぎたいのだ!
子猫がミルクを飲んだ後の、
鼻から口周辺のアノ匂い。
猫好きだったら分かるでしょ?
ちょっぴり生臭いけど、愛しいアノ匂い。

出来れば、プニプニの肉球を持つネコちゃんに、
お腹の上に乗ってもらって踏み踏みしてほしい。
それから、後ろ足での猫キック、くらいたいです!この私!

希望は子猫のまんまの小型猫。
私は肩のり猫と呼ぶ。
お散歩する時は私の肩にちょこんとお座りしてる、
そんなサイズの猫ちゃんっていないかしら?
そんな空想を口にする度に、
「遺伝子を操作してまで、そんな猫を誕生させるでない!」と葵にたしなめられる。

しかし、私の欲求は納まりをを見せず。
「あぁー!あの匂いを嗅ぎたいよぉー!」
「プニプニの肉球がさわりたいよぉー!」 と叫ぶ私の後方で、
「そんな欲求にはすぐには答えられませ-------ん!」と再びたしなめる葵。

誰か叶えて!

                             つばき
 

by bigcamellia814 | 2006-03-23 22:12 | my favorite

自給自足生活の友人がビンボーバトルに出演!

 ビンボーな生活をしている人達の暮らしぶりを紹介するテレビ朝日の番組、『銭形金太郎SP大自然自給自足生活(秘)頂上戦』 に四国に住んでいた頃の私の友達とその家族が出演した。「親子愛に涙!自給自足陶芸家族!」のテロップと共に、数年ぶりに見る友達のひげ面がアップに!

 番組では、月収8万、陶芸家である彼とその家族の、何でも手作り自給自足生活の様子を紹介していた。好意で借りている600坪の土地に廃材で作った我が家。「遊びにおいで。」と度々言われながら今までタイミングを逃してきた私は、彼が手作りした家を見るのはこれが初めて。当時私達が使っていたフリースペースを取り壊すのと時期を同じくして、自分の家を建てようと決断した彼が、フリースペースの壁板を剥がしていた姿が鮮明に蘇って来た。大工でもない彼が廃材で独自の家を作ると言った行動に、私の周囲の人々は応援しつつも、「大丈夫かなぁ?」「台風来たら吹っ飛ぶんちゃうかぁ?」と言っていたが、その家は今も立派に存在していた。

 現在15歳になる息子が、小学校6年生の時、夏休みの工作の宿題として父と息子で一緒に作った息子の為の別棟の個室も紹介されていた。

 備前焼の陶芸家である彼は、普通職人さんに発注すれば400万~500万はする釜も、材料費4万円で手作りしていた。彼の作品を生み出すその釜は、自宅出産で生んだ3歳の娘と1歳の息子のかくれんぼの場所になったりもする。釜から飛び出してくる2人の子どもを両脇に抱える彼の姿を見て、「あぁ、家族を持ってるんだなぁ。お父さんになったんだなぁ。」としみじみとした気持ちになった。

 また、手作りの石釜では、畑で取れたお野菜や連れ合いさんお手製の酵母や保存食を利用して手作りピザを焼いていた!もう、本当にオイシそうでオイシそうで、ゴックン生唾もの!いやぁー、お邪魔したら絶対にご馳走になるぞ!あの石釜ピザ!

 畑の野菜は、不耕起農法という耕したりもしなければ肥料も与えない方法で栽培している為、どれが野菜か雑草か見分けがつかず、野菜を踏んで注意を受けているレポーター東MAX。

 畑で取れた野菜は、その日の夕食に。彼が作った器に並ぶ料理の数々。畑で作物を作り、素材を生かした美味しい料理を手作りし、その料理を彼が作った器に盛る。その流れに、彼は以前からこだわっている人だった。

 食事の後は今では懐かしい五右衛門風呂。

 当時も、そして今も、環境に優しい生活にこだわり続けている彼らの暮らしぶりは、細部に至るまで『自分達の手で作る』と言う事にこだわっていた。

 番組の後半では、彼と再婚した連れ合いの子どもである15歳の息子Tとの関係性がフォーカスされる。彼は、彼女と、彼女の息子である当時5年生だったTと一緒に住む為に廃材で我が家を作り始めた。十分に自我が芽生えている11歳の子どもの父親になる事、自給自足の山の中での生活に子どもを巻き込んでいく事に彼なりの不安を抱えていたと言う。
 Tが私の家に遊びに来た時、私はTに「Tの夢は何?」 と尋ねてみた。Tは「プロテニスプレーヤー。それと普通の生活をする事。」と答えた。私はちょっぴり胸が痛くなって、日頃市販のお菓子を食べる機会が少ないTにカントリーマームをたくさん持たせて帰らせた。新しい土地での自給自足の生活に慣れず、不登校だった頃もあったというT。ある程度の経験を積んだ中で大人はその生活スタイルを選び取ったのだろうが、子どもには選択肢がある訳ではない。後になって「良かったなぁ。」と思える日が来るのだろうが、周りの子ども達と全く違う自らの生活を受け入れる事が難しかった彼の気持ちは想像出来る。
 Tは、父親である彼の事を「お父さん」とは呼ばず名前で呼ぶ。初めて出会った時は父親ではなかったのだから、「今更、お父さんって呼ぶの照れ臭い。」と言う思春期の彼の気持ちは良く分かる。しかし、Tに「お父さん」と呼ばせたがる番組の流れ。「お父さんって呼んでやれよ。」と言わんばかりのレポーター東MAX。だんだん気分が悪くなってきて「あぁーーーーー!好きよね、好きよね、テレビってこうゆー流れが大好きよね!」ってテレビの前で思いっきり叫んでしまった、この私。
 「お父さん」と呼ぶかどうかなんて、本当はどうでもいい。彼が確認したかったのは、Tが感じてる本当の事。自分の事を「お父さん」と思っているかどうか、例えTがそう思っていなかったとしても、彼はTが感じている本当の気持ちをただただ知りたかったんじゃないかと私は思う。傍から見てる勝手な第三者の直感だが、Tが彼の事を慕い、信頼しているのは疑う余地のない事だと私なんかは思っている。でもまぁ、テレビってこういう締めくくり方が大好きなのよね・・・

 ラストは「テレビにしてやられたり!」と思う構成ではあったが、彼らのユニークな生活の様子はよく伝えられていた。日々の生活のひとつひとつを非常に丁寧に生きている彼らは、月収8万と言えど、なんて豊かな暮らし方なのだろう。大事なのは、彼らがそういう生き方を選んで生きていると言う事だ。同い年の彼が、家族を持ち、思い描き語ってくれていたひとつひとつを着実に形にしている姿に、そしてTの成長ぶりに、スタジオのコメンテーターとは別の意味で私も涙してしまった。

                                 つばき

by bigcamellia814 | 2006-03-22 23:43 | TSUBAKIng Times

LEON

a0038862_8323135.jpg  いつか、このネタを取り上げようと思いつつ早数ヶ月。流行り廃りが早いこのご時勢、いい加減書いておかなきゃ、気づいた頃には既に時代遅れなぁーんて事に!

 発売当初から気になって仕方がなかった男性誌『LEON』。表紙は必ずイタリアの伊達男・Panzetta Girolamo(パンツェッタ・ジローラモ)。NHKのイタリア語講座に出演していた頃から彼に注目していた私。ある女性誌で、「ジローラモと踊るタンゴ」なる特集が組まれているのを立ち読みし、一人その場面を夢想して、自分でも驚く程胸がドキドキしてしまった事さえある。『伊達男』という代名詞が最も似合う男・ジローラモ。

 しかし、『この雑誌、いったいどういった層の男性を購読者の対象に据えているのだ?」と言うのが、私の予てからの疑問だった。あの雑誌を見た事がある方なら分かるだろうが、「どこの誰が、こんな生活すんねん!」と思わず突っ込みたくなる程、日本人の一般男性(とりわけ私の周辺に居る男性)には手が出せない、もしくは読んだ所で活用出来ない、ある意味、非常に無意味な情報が満載されている雑誌。

 最近になって分かったのだが、この雑誌のコンセプトは『ちょい悪オヤジ』。購読者の対象は高額所得者の中高年男性。雑誌買うにも、格差が問われる訳ですな。しかしなぁ、イタリア仕立ての伊達男から『ちょい悪』具合を伝授して頂くよりも、もっと、日本人でもマネ出来そうな人材から、活用が効く『ちょい悪』具合を習得する方が妥当ではないかと思うのだ。

a0038862_2354393.jpg そこで私が考えた、日本人の『ちょい悪オヤジ』の代表格と言えば、やっぱり私が愛するCRAZY KEN BANDの横山剣さん!彼の右に出る人はいないでしょう!あれを『ちょい悪オヤジ』と言わずして誰を言う!ドレスアップした時の彼の姿は、イタリア仕立てのちょい悪オヤジ・ジローラモにも引けを取りません!

 しかし、『ちょい悪オヤジ』の必須条件とは、やはりセクシーさでしょうか?セクシーと言うとちょっと大仰だが、そこはかとなく感じさせるイヤラシさ。これが重要!そうなる為には、わきまえと落ち着きが必要だ。それをなくして「イヤラシさ」は効果的に発揮されない。
 う~ん『LEON』を読めば、そんな事も習得出来るのかしら?

 はっきり言って雑誌の中身にはさほど関心はない。
けれど、目の保養に良いのよね、やっぱりイタリアの伊達男は!

                             つばき

 

by bigcamellia814 | 2006-03-20 08:33 | libro(本)

あなたのソレは、私にとってはナニかしら?

 我が家から自転車で15分。新開地にある神戸アートビレッジセンターで行われた、ダンサーであり、振り付け家の山田うんさんのダンスワークショップ・『~ほんの少し、ダンスを創りましょう~』に参加してみた。数ヶ月前、「ちょっと戸惑いを感じる場所に、あえて飛び込んでみよう!」と、妙に前向きな心境だった私。早々にこのワークショップのチケットを購入したものの、土壇場になって怖気づき、「行くの止めようか?」とあれこれ行かない為の言い訳を画策したが、キャンセル・早い戻しも出来ないという事で、「この怖気づく気持ちの根っこは何か探ってみよう。」と自分を振るい立たせて参加したって訳。

 男なのか女なのか、若いのか年を取っているのか、いったいどっちなんだろう?そんな捉えどころのない存在でいたいという山田うんさんは、その言葉通り、少年と少女が混在してる中性的な印象を与えれるルックスと雰囲気を持つ。ベリーショートが似合う女性は美しい。彼女もそんな一人だ。強い意志を感じる表情と引き締まった細い身体。でもいったん話し始めると、彼女の親しみやすさに、会場に集まった見ず知らずの20名程の参加者の緊張感も和らいでいく。

 ウォーミングアップの中で、面白い体験をした。両手の親指を中に入れ、手をグーにしたまま徐々に力を加えていく。それをしばらく続けると、いざ力を抜いて指を開こうとしても、自分の意思とは反対に、指は固まったまま、なかなか開く事が出来ず、ぎこちない動き方を見せる。自分の身体でありながら、その現象を傍観者の様に見つめる事となる。「開け!開け!」と必死で脳に指令を送っても、握り締められていた一つ一つの指が解放されるには想像以上に時間がかかるのだと言う事を知る。
 私は、このワークショップに参加する直前に介助に入った、脳性麻痺のある利用者さんの事を思い出していた。その方の手は、緊張でいつも固く閉じられている。お風呂に入りながら、温かいお湯の中で徐々に身体は弛緩していく。湯船に手をつけ、小指から一本一本開きながらマッサージしていくと、その方の手は徐々に力が抜けていく。
 「あぁ、こんな感じなんじゃないかしら?固まった手が開いていく瞬間って、こんな感覚じゃないかしら?」  「開け!」と言う私の意志とは反対に、固まったまま、ぎこちなく小さく震える指先を見つめながら、私はその利用者さんの事を考えた。

 いくつかの指定されたポーズを取り入れながら創作したダンスを一人ひとり発表したり、最後には3組のグループに別れ創作したダンスを発表したりして、2時間半のワークショップはあっと言う間に終わりを迎えた。

 最後に、それぞれの感想を山田うんさんに伝える。日頃、ダンスとはあまり縁のない40才代の女性が、「初めての体験で戸惑ったけれど、楽しかった。」と言う様な内容を、喜びを露にしながら伝えていた。山田うんさんは彼女に「ダンスが身近でない彼女がこの場所に来るという事は、私にとっては何と同じ事だろう?と、あなたのダンスを見ながら考えました。」と言う様な事を言われ、その一言が妙に心に響いた。
 慣れない場所に、今まで自分の世界になかった場所に、「場違いかも?私・・・」と思って躊躇する様な場所に、あえて出向き、その世界に飛び込んでみる。それは、私にとっては、例えばどんな場所で、どんな世界なのだろう?自分が二の足を踏みつつも、飛び込んでみようかと思うその心境は、いったいどんなモノだろう?山田うんさんは戸惑いつつもチャレンジする彼女のダンスを見ながら、そんな事を想像してみたのだろう。
 「例えばそれは、私にとっては何と同じ事だろう?」 他者の状況を、自分という人間に置き換えて想像する。彼女は多分、そういう事を日常的に丁寧に行っている人なのだろうと私は想像する。

 踊る事は、きっと好きだ。体育はニガテだったけれど、マスゲームもそれなりに楽しかったし、高校時代の創作ダンスではいい評価をもらい、その学期だけ体育の成績が良かった。今でもダンスを習いたいと言う思いは尽きない。けれども、「恥ずかしい」と思うこの気持ち。この気持ちが、私の身体を自由に動かす事を躊躇させる。そして、こんな場所に出向く事にすら怖気づいたりする。ダンスそのものが、生きる事と直結している国に憧れるのは、こんな私の解放されない気持ちのせいかもしれない。

 「やりたくないなぁ。」と思った先に、言い訳したくなる原因や理由が見えてくるかもしれない。見たくない事でも、実際に直面してみたら、なぁ~んて事ないかもしれない。私の自慢は好奇心が旺盛な所。面白い場所を見つけたら、「ちょっと場違いかしら?」と思っても、一歩踏み込んでみようかな。

                              つばき

 

by bigcamellia814 | 2006-03-19 01:13 | TSUBAKIng Times

コメントをありがとう。

葵です。

みんなのコメント、読ませてもらったよー。ありがとう!
コメントが入りきらなかったので、ここで返事を。

 
いつもの悪いクセが、また出てしまったか。障害者歴23年、そろそろ身体と心のバランスがとれるようになってもいい頃なのに、やりたいことを、やりたいだけやってしまう私…。いつになっても成長が見られません。
 
会社では、誰も働く事を強制したりなどしない。むしろ「早く帰りな」といつも気に掛けてくれたり、だからと言って「遠慮して」いるわけでもない、いい人たちに囲まれて働けることに感謝している。
 
養護学校から地元の高校に入学した時のような、周りに障害者のいろはから教え込まなきゃいけなかった状況を思い起こせば、私にとってなんと生きやすいことか…!

環境は、ほぼ整っている。

私が何をどう選ぶか、どう決断するか、どう行動するかで、私の中に心地良いリズムを鳴らし続けることは可能になると思う。
 
お休みは明日まで。なかなか治らない褥瘡や動けない悔しさに悶えつつも、ごはんをゆっくり作って、椿や友達と一緒に食べられる時間に、窓から入る春の風に、幸せを噛み締めている。
私を作る身体中の水が透き通っていくのを感じているよ。

私のやりたいこと。働くこと。椿と過ごすこと。友人に会いに行くこと。大切な人達と、ゆっくりごはんを食べること。ちょっと遠くへ出掛けること。ミシンを鳴らすこと。絵を描くこと。他にも沢山、沢山。

そしていつかBistro aoiを本当に開店し、みんなが元気になるごはんを作り続ける為に、どれも諦めることなく、ぼちぼちやっていける時間を作っていくね~。

私だけの問題じゃないのだと、自分に言い聞かせ…。

コメントくれたみんなと、ケータイにメールをくれた友人と、他のみんなと、そしていつも弱気な私に喝を入れ、真剣に考えてくれる椿に感謝といっぱいの愛を!ありがちゅ~!


                                                  あおい

by bigcamellia814 | 2006-03-14 14:30 | 葵歳時記