間接的殺人

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 普天間問題について、熱心に運動をしている友人がこう言っていた。

 「確かに関心をもって聞いては聞いてはくれてるんだけれど、やっぱり返って来る言葉が人ごとなんだよね。自分のところには基地は来ないと思ってる。」と。

 かつて、知念ウシさん(ライター)が書いていた文章を思い出した。


 「沖縄が好き。癒やされる」。どこにでも入れる魔法の無料チケットみたいに言う。いつも思うんだけれど、この人たちは沖縄から帰ったあと何をしているんだろう。「ねえ、どうしているんですか?沖縄から帰った五百万人が国会議事堂に直行して座り込めば、沖縄の基地は一挙になくなりますよ。沖縄が好きなんでしょう。基地をなくしてくださいよ。そしたら、もっといい沖縄になりますから」。

 何回か聞いてみたことがあるけれど、みんなシーンとなっちゃうんだよね。「沖縄が好きなら基地を一つずつ、持って帰ってもらえませんか」と言うときもそう。ま、まさか、基地のある沖縄が好き?えっ、まじ?!

 もし、基地があるのがお好きなら、ますます、どうぞ、テイクアウトでお願いします。

 
 数年前、辺野古で新基地建設反対運動を行なっていた牧師・平良夏芽さんのお話を聞く機会があった。辺野古と言えば、ジュゴンや環境への負荷が話題にされがちだ。もちろんその事も重要だが、それ以上に問題なのは、アメリカが起す戦争に加担しているという事実だといった内容を話しておられた。「沖縄の基地から、イラクやアフガンに向け戦闘機が飛んでいく。沖縄の人達は、戦争に加担している加害者であるという思いを抱えている。」という言葉を聞いた時、私はその様なリアリティをもって沖縄の基地問題を考えたことがあっただろうか?とガツーンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

 2007年にタンザニアを訪れた時、キリマンジャロの麓の街、アルーシャに滞在した。キリマンジャロの頂上を覆う雪は、地球温暖化の影響で、あと十数年もすれば消滅すると言われている。

 しかしどう考えても、この山の麓に暮す人達の生活が、キリマンジャロの雪を消滅させるほどにCO2を排出しているとは思えない。あまりにも質素だ。

 あぁ、私達が排出するCO2が回りまわって、私が暮す場所から遠く離れた所に住んでいる人々の生活を追い詰めていく。これは間接的な殺人であり、私はそれに加担している加害者の一人でもあるのだと、そびえるキリマンジャロを眺め痛感した。

 その思いをキリマンジャロだけに留めておくか、
そこから、普天間やそれ以外の問題にも、その視点や痛みを応用できるかで違ってくるように思う。

 自分が直接手をかけた訳ではない。
それは、私の目に触れることもない現実かもしれない。
見なければ一生見ないですむ、
心も耳も傾けなければ、一生気付かないですむことかもしれないけれど、
無自覚にいるその事が、
間接的殺人に関与し続ける私を生き延びさせるのだろう。

 間接的殺人という言葉を思いついた、アルーシャの街角。
それに気付いた自分を忘れてはいけない。

                つばき

 

by bigcamellia814 | 2010-05-12 11:24 | TSUBAKIng Times

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