屈辱を拒否するチカラ

 3年ぶりになるだろうか?
疎遠になっていた友人と再会することが出来た。
正直、「こうやって、次第に誰かと連絡が取れなくなり、
自分の周辺の人間関係も整理されていくのだろうか?」
と意識的に達観することを試みなければ、
あまりに残念で仕方ないという気持ちを抱えてきた3年だった。

 東京に住んでいるその友人は、大阪で仕事があるからと、
葵を見舞いにわざわざやって来てくれた。
葵には秘密にしていたので、歯みがきをしていた彼女は、
鏡越しに彼の姿を見た瞬間、「あり得ない!」と号泣し始めた。
「生きてて良かった。」と。
あんな風に、ボロボロと涙を流しながら、感激して迎えられる事など、
人生にはそうそうないと思う。実に贅沢な感激のされ方だ。

 一緒に道を歩きながら、彼は、とてもカッコいい話をしてくれた。
多分、その話を聞いて、「カッコいい!」と素直に褒めたのは、私と葵くらいだと思う。
他の人は、「なんてバカなんだ!」とあきれるだろう。
「要領悪ぃーな!」と面倒臭く思うだろう。
けれども、少なくとも私は、彼の体験をカッコいいと思ったのだ。
そのカッコいい話を、ココにかけないのが残念。
 
 それは例えるならこんな話。

 悪い事を仕出かした人物に、更正の一環として、
障害者や高齢者の施設でボランティアをしなさい!というペナルティを与える事がよくある。
「ペナルティ」として「障害者」や「高齢者」の存在が利用される。
ペナルティを与える為にその存在を利用される人達の屈辱に、
どれ程思いを馳せる人がいるだろうか?
友人は、自身の職業がペナルティに利用されそうになるという体験を前に、
どうどうと拒否をした。「バカにするな!」と。
そうする事で、彼は仕事を失う可能性は十分にあった。
けれども「それでもいい。」と、自分の尊厳を大切にするために主張した。

 「バカだなぁ。」と思いながらも、
私は、彼の怒りをまっとうだと思った。
それまでは彼に共感していた同僚も、体制を前にし、誰一人として、彼の主張を応援する者はいなかった。それでも、たった1人で主張した。
「俺の仕事は、悪事を犯した誰かがペナルティの為にやる仕事じゃねーぞ!」と。

 生きにくいだろう、あの不器用さ。
しかし、カッコいいよ。私はそう思う。

 再び出会い直せた喜び。
思い続けていれば、大切な人とは、どこかでまたつながるのかもしれない。

                                       つばき

by bigcamellia814 | 2008-07-02 00:48 | TSUBAKIng Times

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