これもひとつのドーピングか?

 仕事で、元柔道選手、ソウル五輪銅メダリスト、山口香さんのお話を聞く機会に恵まれた。現在は、母校筑波大学で准教授としてトップアスリート達の育成に携わっているそうだ。

 時々、テレビで彼女の解説を聞く機会はあったが、その時の印象と同じく、歯切れのよい喋りは彼女の聡明さをよく表していた。

 お話の中で印象に残ったのは、最近話題になった水着のこと。
英国スピード社の水着を着た選手が世界新を出し続けているが、日本水泳連盟はスピード社と契約していないので選手は同社の水着を着て競技に望むことが出来ない。そのため、ミズノ、アシックス、デサント3社が日本水泳連盟から改善要望を受け新作水着を発表したというニュース。

 山口さんはこのことを取り上げ「用具のドーピング」と表現した。
「あの水着を買うことも出来ない国の選手がどれだけいるか?」
「それで金メダルを取って何が嬉しいのか?」と。
「それは、ドーピングと同じである。」と。

 どことなく違和感を感じていた事柄に的確な言葉を与えてもらった気がした。

 スポーツの中にある南北問題。
オリンピックは人々のナショナリズムをかきたてる象徴的な場だ。
汚れのない、ポジティブな言葉で表現されることの多いスポーツの世界。
その言葉の裏にある政治的な問題と、それに翻弄されるスポーツ選手。

 オリンピックにさほど興味を持たない私も、山口さんの示唆に従って、
今年の北京オリンピックは、多少根気強くテレビにかじりついてみようかと考えた。

 「金メダリストは1年。銀は1ヶ月。銅は3日。」
コレが、メダリストの存在が人々の記憶に留まる期間だと山口さんは自嘲を込めて言う。
多くの選手は、打ち上げ花火の様な一瞬の選手生命のことしか考えられず、その先、選手生命を終えた後のビジョンを持っていないことを危惧しておられた。選手生命を終えたメダリストが、活かされる場所がないと。

 一時、人々のナショナリズムをかきたてた英雄も、人々の記憶からは簡単に薄れ、その後の道は険しい様だ。ナショナリズムの為に彼らを使い捨てていないか、そんな事を考えながらオリンピックを見るのは、あまりに無粋だろうか?

                                      つばき
 

by bigcamellia814 | 2008-06-01 10:08 | TSUBAKIng Times

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