やり過ごすことで得られるのものは無力感

 『くだらん呟きばかりだとフォロワーさんに言われたばかりでなんだが。ちょっと暴言吐きます。浅田真央ちゃんは早く彼氏を作るべき。エッチしなきゃミキティやキムヨナには勝てないよ。棒っ切れが滑ってるみたい。女になって表現力を身に付けて欲しい。オリンピックまでにガッツリとことん!これは大事。』

 とは、Twitterに書き込まれたラサール石井の言葉。

 男と恋愛するとか、男とセックスすることで「表現力」が培われるというこの方は、フィギュアスケートにどんなファンタジーを抱いているのだろう?今後真央ちゃんが、この方が認めるような表現力とやら身につけ、好成績を収めた後も、「きっと彼氏が出来たんだ」とか「きっと、エッチを経験したんだ」とか言うのだろう。だいたい、セックスすることを「エッチ」と表現するような輩は私の中で信用がおけないのだ。

 この発言に対して友人が書いたつぶやきに共感する。

女子フィギュアスケーターの表現力に関する暴言について
「ああいうセクハラ発言はよくあること、慣れている」
「あんなのいちいち真に受ける女性は今時居ない」
と言ってやり過ごすことはできる。
そんな能力は身についている。
そのことこそが悲しいのだ。


 やり過ごすことを覚えたこと、そのことこそが私も悲しい。
やり過ごすことが、まるで大人の対応かのように、脅迫的に迫ってくる。
私が怒る度に、「その程度のことで」「バカな相手が言っていることを真剣に受け止めて」と言われたことを、そして今でも言われ続けていることを思い出す。

 でも私はちゃんと怒ろうと思っている。
かっこわるくても、バカにされても。
そして少なくともそれを実践し続けていると思う。
エネルギーのいることだけれど、
やり過ごすことで得られることは無力感を自分の内側に常態化してしまうこと。

自分の人生、そんなものに覆われて生きたくない。

 真央ちゃん、怒れ!怒れ!
怒ってもいいことなんだよ。
私は最前線で応援する!

by bigcamellia814 | 2011-05-02 15:03 | TSUBAKIng Times

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