レベル7

 チェルノブイリの原発事故が起きたのは、私が中学1年生の時だった。
連日報道されるニュースを見て、
「あたしたち死んじゃうの?あたしたち死んじゃうの?」
とあまりに不安がる私を見るに見かねた母親が、
当時担任だった理科の先生に、
「どうか娘に、今回の原発事故について説明してくれませんか?」と手紙を書いた。

 放課後、図書館の一角で、先生は私のためだけに、
事故の説明と、予測される私達への影響、その濃度について話してくれた。

 話の中身は完全に忘れてしまったが、
中学生がわかる程度の科学的な根拠を時折引き合いに出しながら、
「大丈夫だよ。」「死んだりしないよ。」と繰り返した。

 その先生のことはあまり好きではなかったけれど、その時だけはありがたかった。
だって、私は死んじゃいそうなほどに不安だったんだもの。
本当はもっと大きな声で「怖いーーーー!」って叫びたかった。
けれど、そうも出来ない。
だって、周囲のクラスメイトはそんなこと口にしないし、案外普通で、
1人で勝手に不安になって苦しかった。

 先生の説明を聞き、
「とりあえず、生きられそう。」とわかって、私は確かにホッとした。

 でも、今起こっていることは、遠いウクライナの出来事じゃなくて、
この日本で起こっていること。
子どもたちは今どんなことを感じているの?

 安心させるつもりで、大人が平気なふりをすれば、
子どもは自分の不安を正直に吐き出せない。
大人がこの現実を見て見ぬふりをするならば、
子どもたちの不安やするどく正直な視点は見落とされていく。

 遠いウクライナの出来事に、死にそうなほど不安になった13歳の私がいたように、
今、日本の子どもたちは、ちゃんとこの恐怖を捉えていると思う。
あの子たちはわかってるよ、この恐怖を。


 中学生か高校生のとき、「風が吹くとき」という絵本を手にした。
核戦争により、放射能を浴び、死んでいく老夫婦を描いた本だった。
淡々とした日常に徐々に核戦争や放射能は忍び寄り、
そして、ひたひたと人は死んでいくのか?と思った。
「私の未来は、こんな死に方をするのかな?」とわりと本気で考えた。
それは、チェルノブイリの原発事故や湾岸戦争という出来事に後押しされ、実にリアリティがあった。

 だから今回、福島第1原発が爆発した時、
「あぁ、子どもの頃、私が思っていたことが本当に起こった。
あたしたち、これからひたひたと死んでいくんだ。」と淡々と思った。
私の気持ちは不思議なほど冷静で、
「死ぬにしても、生き延びるにしても、決断するための正しい情報をくれ。」と思った。
心の奥底で感じていた恐怖や悲しみに辿り着くまでには、それからしばらくの時間を必要とした。

 昨日、日本政府は福島第1原発事故の国際評価尺度(INES)を「レベル5」から「レベル7」に引き上げた。しかし、連日の報道で私の恐怖の感覚も麻痺したのか、手仕事をしながら淡々と聞いている自分に気づいてビックリする。

 私よ、しっかりと感じろ!
13歳の時の私のように、しっかりと感じ取れ!

 

by bigcamellia814 | 2011-04-13 01:56 | TSUBAKIng Times

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